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限りなく深く・・・

小学生の頃、頭にあったイメージ

たくさんの滑り台が色んな向きから出ていて、すべて下向きになっている

滑ると途中で切れて別の滑り台に移り、更に下に落ちてゆく

下はどこどこまでも深く、暗く、先はわからない

何とも言えない寂しさと恐ろしさ

とてもイメージがリアルで、小学校4年生の時の授業で版画にした

今、そのイメージを思い出す

今、滑っていくのは、落ちていくのはどうかな・・と

すごいスピードで底なしに向かって滑り落ちるけれど

それよりももっと速いスピードで なむあみだぶつが先回りして

光明を広げて待っておられる

どこどこまでも落ちて切りがなくても

更にその先に飛ばして光明を広げて下さる

どこどこまでも先に行って下さる・・・

私は感激の涙を流しながら、滑り落ちてゆく

どこまで落ちていっても、不安だけれど大丈夫なのだ

私より先に、すごいスピードで落ちて下さっているから

そんなイメージで胸がいっぱいになる、 なむあみだぶつ  (m)


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満月

会社帰り、ふとしらを見上げるとまんまるの満月

私には何もないけれど

南無阿弥陀仏が私全体に満ちていると感じるのは

月の光が私を照らす様に

なむあみだぶつが私を透きぬけてを照らして下さっているからなのだろうか・・と思う。

月を眺めていると阿弥陀様のお慈悲がありがたい。   南無阿弥陀仏   (m)

ウナギの養殖

 新聞を読んでいたら ウナギの養殖にかいこを使う、とあった。

凍結して粉砕して餌にすれば、高たんぱくで安価なのでウナギの養殖にもってこい

で、ウナギも今より大きく育つという。

 かいこというと小学生の頃を思い出す。

近所の家で絹糸をとるためにかいこを育てていた。

段になった棚にたくさんのかいこがいて桑の葉をたべており、じっとしていると

めりめりと、葉を食べる音が聞こえた。

触るとぷにゅぷにゅとしてやわらかく、当時の新幹線のような格好で、

真っ白な背中に三日月マークがあり美しく、きもかわいい感じだった。

 かいこのまゆを奪って絹糸を作るだけでなく、凍結粉砕して餌としても使うとは。

人間はなんと自分勝手で残酷な生物なのか・・・と改めて思う。

人間に、自分に、生きる価値があるのではない。

特別のお慈悲で、ゆるされて生きているのだと思う。  南無阿弥陀仏。 (m)

なぐさめ

南無阿弥陀仏のお慈悲はいつも変わらないけれど

苦しいとき、欲や怒りや愚痴で心がいっぱいの時、寂しさでいっぱいのとき

こころの奥底からなむあみだぶつが染み出す様にらあふれてきて、

いつの間にか悩みの心のまま南無阿弥陀仏がすべてを包み込んでいる。

苦しいときほど、離れず寄り添われている南無阿弥陀仏なのだと思い知らされる。

呼吸のように、あたりまえのように、ふと気づけば溢れている。

私は幸せだな・・と思う。頑張ろう・・と思えてくる。  南無阿弥陀仏  (m)

御文章

表紙の擦れた年期入りのS会発行の御文章を久しぶりに拝読。

何帖目何通とかかれているところの上に、× がつけてあるものが

結構ある。

T会長が、「これは今の時代には当てはまらない内容が書かれているから

読まないように」 と指示をだし、いわれるままバッテンを付けたもの。

当時は、そんな言葉をうのみにして読み飛ばすようにしていた。

蓮如上人ご自身が「凡夫往生の手鏡」といわれたという御文章に

○×をつけるなんて、今考えると何て失礼な行為だろうと感じる。

しかも会員にまで、そんな行為をさせて・・。

自分が蓮如上人より偉いと思わなければ言えない発言。

その指示に疑問も感じず従っていた当時は、やはり 「自分には

判断能力がない。T会長だけが善智識方の深い御心がわかるのだ」と

信じ込んでいたのだ。

いつの間にか、マインドコントロールされていたと思う。(m) 南無阿弥陀仏

門徒

実家は先祖代々大谷派門徒で、月に一度はご院さんが来て、私も祖母と一緒に
正信偈を読んでいました。
小学校の夏休みも、毎日寺でのラジオ体操の後、続けて正信偈を読んでいました。

正信偈の言葉(字)や恩徳讃の歌は、頭にしっかりインプットされたけれど、意味を
教えてもらったことは一度もありませんでした。

最初の一文字から( 帰命って何?命を帰すから死ぬってこと?南無阿弥陀仏って
どういうこと?) と疑問がいっぱいでした。

思い切って恩徳讃の意味を質問した小5の時、ご院さんは「それだけ仏様、ご先祖様
のご恩が大きいという意味ですよ。」と答えました。
( でも身を粉にして骨を砕いたら死んでしまうから、ご恩返しで自分の命と引き
換えになるって、表現がおかしくない・・?) と思っていました。

S会にはまった原因の一つに「正信偈の意味を教えていた。」というのがあります。

「寺では教えが説かれていない。」という言葉に、大いに納得でした。
当時は阿弥陀仏のことさえ、何もわかっていなかったのですから。
正信偈の意味を教えてもらえることが、とても嬉しく新鮮でした。

そして、キリスト教を信じたくて、信じれなくて苦しんでいた私は
「信じる心のない者に信じる心も与えてくれる阿弥陀仏」という話に、
「疑い深い自分にはこれしかない!」と光が差した思いだったのです。 

もちろんS会では教えが間違っていて他力とは反対方向なので、
S会の教えでは永遠に救われませんが、寺の責任も大きいと感じます。

          南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏 (m)

思い出

・わが命 キリスト教の 父母(ちちはは)と
     
        信者の祈りに 願われて在(あ)り

・ キリストか 真理かと 道問うた

         高3のころ 鏡見つめて

・真理知る 智慧がないから念仏す      (m)
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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