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おむつ

一人暮らしのお婆さん。認知症で失禁もある。

お宅を訪問すると、ごはんが5合も洗ってザルに上げてある!

冷蔵庫に数の子が3パックも入ってる!


「息子から電話があって、明日家に来るんだって。炊き込みご飯が好きだから、今日は炊き込みご飯の用意をしてくれる?数の子が好物だから買ってきたのよ。遠くから来るから泊まると思うからお客用の布団を干してほしいの。」

ジャーは3合炊き。1合を1日かけて食べる方。

調理も洗濯も自分ではできない。もう手順が分からない。

失禁が多いので、おむつをしている。家は あちこち尿の匂いがしみついている。

「よかったね~。息子さん来てくれるんだ。久しぶりに会えるね!楽しみだね!」

(息子さん、家でご飯たべないだろうな・・。たぶん、泊まっていかないだろうな・・。)

翌々日訪問。祈るような気持ちで、「どうだった?息子さん元気だった?」

「夕方来たけど、もうご飯食べてきたって。夜も友達の家に泊まるって。1時間くらいで帰っちゃたよ。」

息子は50代。

自分はおむつをしていても、息子の世話をしてあげたいこの親心・・。

この思いが 息子さんに届くことがあるだろうか ・・ 。 届け! 届け! 届け!

ヘルパーをしていた時の、忘れられない思い出。     (m)
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人間関係

人間関係がいっぱいで疲れます。

結婚すれば、双方の親・兄弟・親戚を含めた付き合いが始まります。

子どもが生まれれば、子供同士の人間関係も心配しながら、子供の親どうしの付き合い、先生との関係。

子ども会の付き合い、習い事、学校の役員。

家を建てれば自治会加入、地元の当番、役員が順番に回ってきます。近所にも愛想よく接しないといけません。

会社では同僚や上司との付き合い、(人相手の仕事なので)お客さんやその家族、

親戚、関連する福祉関係の人々多数。

あっちでもこっちでも気を使い、マイペースと言われる私もへとへとです。

自由に羽ばたきたいのに、現実は人間関係の網にがんじがらめになっている感じです。

一人が好きなのに、一人の時間がない!!   仕方ないですね ・・ 自分の業だから。

阿弥陀様とふたりっきりでいいんですけど・・。     (m)

恫喝?

顕真

最近の記事には驚く。

支部長:「蓮如上人も『雑行を捨てよ』とは、書かれているが『信仰が進むから善をしなさい』
とどこに勧められているか」と言ってきたら、
「では、『信仰が進むから悪をしなさい』と書かれていますか。
『善をするな』とどこに仰っていますか」と、ズバリと言えばいいのです。

これが、布教師の言葉であろうか。逆ギレ?。堂々と機関誌に載せる神経も我慢できない。

救いの条件に「修善」を持ち出しているからおかしいと言っているのであって、そこを敢えて無視している。

この支部長の指導者が、救いの条件に修善を持ち出しているのは明らかである。

「善をしなければ信仰は進みませんよ」「信仰が進まなければ救われませんよ」

何度も聞いたことであり、決して忘れない。

私はある時点で気付いた。善で救われるのでは無いと言いながら、結局は善をしなければ救われないと言いたいのだと。

それは本願力回向の教え=浄土真宗の教えを反故にする邪説であることも。

もはや離れた会であっても、こういう記事を目にすると見過ごすことも許すことも出来ない。(P)


体温

身も心も冷え切った     死体に体温はありません。

もう既に死んでいるのに   阿弥陀仏は抱いて離されません。 

そうすると    死体なのに ほんわり温かくなります。

阿弥陀仏の    温かい体温が 死体に伝わってくるのです。

私は涙を流します。

阿弥陀仏が 泣いておられるのです。

「 愚かなものよ・・・。」 死体を抱いて 離されないのです。

そのお慈悲が 冷たい冷たい心に 沁み込んで ・・    
                             (m)

 

視点

いつの間にか

東南アジアに出張に行って肌で感じたことに日本製の凋落と韓国の躍進があります。
韓国勢の勢いはオリンピックに限ったことではありません。

まず、空港の便利さはソウル(インチョン)が圧倒的です。
電気製品はLGやサムソン、車はhyundai・・・。タクシーの運転手に、何故日本車に乗らないのか聞いたところ「very expensive」が答えでした。いつの間にか高い日本製品よりも、韓国製、中国製、台湾製がどこの国でも深く浸透しているのです。

メイドインジャパンは高性能ではあっても、高いと思われていたとは少しショックでした。

こういった事は、日本にいてもなかなか判らない面があります。

内部にいては判らなかったことも、離れてみて判ることはたくさんあります。親鸞会も然りです。

自分たちが知っていることが全てでは無いと知るべきと思いました。

(P)

風呂

夜、 やや熱めのお湯を たっぷり入れ、どぶんとお風呂に入るつかるとき

お風呂に入れない人達のことを思い出します。

ケアマネージャーの仕事をしています。

在宅で寝たきりの人は、受け入れてくれるデイサービスもほとんどなく、

(座位も保てず、筋肉のこう縮も強いから 車いす自体が大変。)

訪問入浴を利用されます。

看護師1人、ヘルパー2人で 持ち込んだ湯船で 寝たまま入れます。

週2回入れるのが理想ですが、諸事情で ふつうは週1回。

ご本人にとって、訪問入浴は、数少ない楽しみのひとつです。

とはいえ、湯温も高くて40℃。長湯もなし。

それでも、バイタルチェックで微熱や高血圧だと 入れません。

待ちに待った訪問入浴の日・・体調が安定していますように・・!

自由にのんびり お湯につかれること。 手足が思い通りに動くこと。

ありがたい事なのだと感じます。   南無阿弥陀仏・・    (m)
  

慈悲

後生を心配していました。

ところが・・・

すでに とっくの昔に解決済みだったとは・・!

驚きです。  ありえない話です。

阿弥陀仏の 慈悲ひとつ。

これしかありません。 これだけがたよりです。   (m)

ご恩

先輩

学生の頃からお世話になった先輩たち(講師部、特専部に何人もいます)だからこそ、浄土真宗の正しい教えとは何か考えるきっかけを得て欲しいと思います。

お世話になったことは事実であり、今でも感謝し尊敬ていることに変りはないのです。

気がつくとそれは、聖人の教えとは違っていた。それだけです。しかし、それは全てなのです。

私が知りたいのは先生のご恩ではなく、阿弥陀仏のご恩です。

教えがおかしいと気づき始めている人もいると私は信じています。皆、もとは真面目な方々ですから。

〇〇さん、社会問題になるようなことだけは避けて下さい。やり直しが効かなくなります。

(P / at Kuala Lumpur)

ご縁

大学に合格したら、神を信じて生きていこうと決めていました。

信じれないことに悩んでいたけれど、決断して キリスト教を信じて生きて行こうと。

入学手続きの時、S会の人に声をかけられました。

信じる心のない者を救う本願に、私にはこれしかない、と思いました。

教えられるまま、自分なりに25年、つっ走ってきました。

聴聞していて色々な疑問が出てきて、講師方に質問しましたが

すっきり答えてくれる人がいない。

この時代、どこかに解答があるかもしれないと、インターネットで

「自力」「他力」「本願」「信心」「安心」など、さがしていて、『安心問答』を

見つけました。

いっぱいいっぱい質問して、全て答えきって頂きました。

あの時、声をかけてもらえてよかった。

去年『安心問答』を見つけれてよかった。

阿弥陀様のお手回しではありますが、このご縁に深く感謝しております。

ありがとうございます。  南無阿弥陀仏     (m)

苦毒

 『 身は諸々の苦毒なかに終わるとも  我が行は精進にして忍びてついに悔いず 』 (重誓偈)


   このお言葉は 阿弥陀仏が法蔵菩薩であらせられた時 「修行の苦しみに耐え忍んで

   必ず仏の悟りを開こう!」 との決意表明だと 理解していました。

  
   今は、阿弥陀仏が既に命を投げ出して 南無阿弥陀仏となられ、わたしの疑いと謗りの

   苦毒(煩悩)の真っ只中に飛び込んで、「 必ず聞かせる 必ず往生させる 」と

   ずっと呼び続けていて下さった事なのだと、思い至りました。

   「 疑われてもかまわない  謗られてもかまわない 

     どんなつらい思いをしても 必ず助けてみせる。」

   ずっとずっと昔から・・ 今現在も・・ これから先も・・ 命をかけるぞ、と。


   十方衆生すべてが往生するまで 阿弥陀仏の命がかかっている、

   かかり続けているのですね・・。              (m)

正信偈

葬儀

少し前ですが、S会会員の方の通夜に列席しました。

この方は長年会員で自分たち家族もお世話になった方でした。
なくなる少し前に家内が葉書をもらったので、一緒に病院に見舞いに行きました。
病状が良くないのか震える字で「修行ができません・・・」と、短い文章の中に2回書かれていました。

なんということか、修行とは! これは「善をしなければ云々・・」と聞かされ続けてきたからです。

「イダイケ夫人は修行ができなかったのです。修行できないものを救うのが阿弥陀仏の本願です。」とお話すると、涙を流されました。最後に念仏を薦めてお別れしました。


その後しばらくして、通夜の当日の夕方4時ごろ、支部以外の人から「亡くなられた」と言う連絡があり、慌てて出かけました。訃報も伝えてこれないのかと愕然としました。
ちなみに会員で参列している人はいませんでした。現役の会員がなくなられたのに?

私が住む地域では真宗は非常に少ないのですが、その方のお宅は真宗でした。
お通夜では、正信偈を参列者一同で上げさせていただきました。
(P + m)



御同朋、御同行

再会

先日、同じ支部であった人とある御法話会場(S会ではありません)で再会しました。

思いがけないいことだったので、懐かしく嬉しい気持ちでした。

支部の人達はどうしているだろうと、ふと気になることもあります。

メールや、年賀状を出しても返事がない人が大半のようです。中にはメアドを変えてしまった人も。

短い人生のうちの何年かを共に過ごしてきた人たちなので、再会して嬉しいと感じて普通と思います。

支部の人達はどう思っているか分かりませんが、私はずっと思っています。

御同朋、御同行と。

いつか、再会することがあると思っています。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(P)

 猟師の捕網に ひっぱり上げられる イメージでいました。

 
 ひろい ひろい  海の中

 海の奥深く、 細かな網を 余すところなく 張りめぐらして

「 三悪道には 堕ちないようにしてあるから~、好きに泳いでていいんだよ。 」 

と、 軽やかな声。


 どんなご苦労があったのか・・。 想像がつきません。
 
 南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ なむあみだぶつ          (m)
 
           

言葉の違和感

親鸞学徒

実はこの呼び方が嫌いだった。何故か。

1.語感が嫌な感じ。
  会話上ではほとん”親鸞”を省略して”学徒”と呼ぶ。そうすると、どうしても戦時中の学徒動員を想像してしまう。


2.傲慢では?
 親鸞学徒と言う言葉は既成の教団でも昔から使われていたようで、目新しい言葉では無い。

親鸞学徒とは、親鸞聖人の教えを学び、伝えるものの事である。(HP参照)
と言いながら実際には会員=学徒と呼びなさいと言うことになっている。
入会すると「学徒になられた」という表現をするようになった。そういう言い方が推奨された。

集合で考えると、[親鸞学徒]⊃[親鸞会の会員]と考えるのが普通であるのに、
[学徒]=[会員]もしくは[学徒]⊆[会員]という事らしい。

自分たち会員だけが親鸞学徒であるかのように錯覚して、あるいは意識的に強調して使うようになった。
ネット上で検索すると、この言い方が花ざかりで、鼻につくことこの上ない。
読んでいて恥ずかしい。

自分たちは唯一正統な仏法者であるという自覚を持っているつもりで言っていても、内部でしか通用しない事を忘れてはならない。使っているうちに違和感が無くなることは恐ろしい。

親鸞学徒という言葉は本来、素晴らしい言葉のはず。
「本願寺が正しい親鸞聖人の教えを説くようになれば親鸞会は解散する」
昔聞いた宣言は嘘で無いと信じたい。
(P)


まかせた!?

 まかせたつもりはありません。

 後ずさりするところがなくなりました。

「 必ず助ける 」 と 前方から、全名乗りをあげて来られたので

 まかせるも まかせないも なく、

 断るも 断らないも なく、

 身動きができない・・。

「 わ、わかりました。」と言うより、選択肢がない。

 迫力に・・・返す言葉が見つからない。     (m)

  

 

情報化社会の怖さ

『ちきゅう』

海洋開発研究機構の探査船をご存知でしょうか。6万トンを越す巨大な船です。
海底を7Km掘り進み、人類未踏のマントルまで到達することが目標だそうです。
一般公開に行ったことがあります。技術の粋を集めた船ですからデジカメNGかと思いつつも、持っていきました。

ぞろぞろと並ぶ見学者の列に向かって機構の職員が叫んだことが振るっていました。

「皆さん、この船には何一つ隠すところはございません。外側も船内もデジカメやビデオでどんどん撮影してかまいません。乗組員、研究者が説明しますので何でも聞いてください」

この宣言が嬉しいのです。役所でさえ変わってきているのです。
都合が悪いことでも、できるだけ情報を開示しなければ、民間企業でも役所でも生き残れないのです。

ところで、近ごろ内向き過ぎませんか?○○会

  「先生のご法話日程は口頭でしか伝えてはならない」
  「会館に入場するには名札が必要です」
  「教行信証の意味は善知識でなければ判らない」
  「退会者に関わってはいけない」
  「あのサイトは誹謗サイトだから見てはいけない」
  「土蔵秘事とそれに類すものに注意せよ」

弥陀の本願に隠し事は無いはずです。独り占めにできるものでもありません。

一例を挙げると、土蔵秘事に類するはずの団体のHPには、法話日程も明記されています。(当然ですが)
音声データもアップされていますし、DVDも購入できます。誰でも参詣可能です。

試しにDVDを購入してみたら如何でしょうか.(P)


後生の不安

 「 死ぬのがこわい。 死にたくない。 死んだら どうなるんだろう・・? 」

   幼い頃から、ずっと 不安で、気になっていました。 最大関心事でした。

 「 死の不安の 解決ができる 」 との言葉に 飛びつきました。

 
   今は なぜだか 後生の不安 は なくなりました。

   後生のことは 全くわかりません。 目隠しされている感じです。

   でも、助からない者 だと わかりました。

   「 助かりたい。」という 気持ちも なくなりました。

   阿弥陀様は 「 必ず往生させる 」 と、言われています。


   今は なぜだか 後生の不安 は なくなりました。

   なぜなくなったのか  わかりません。 なぜだか 今は 不安はないのです。    (m)
   

感動したこと

はやぶさ

知る人ぞ知る、日本の惑星探査機です。とうとう今年6月に地球に帰還予定です。
7年に及ぶその旅は涙なくしては語れないものです。
簡単に説明しますと、小惑星『イトカワ』にタッチダウンし、試料を地球に持ち帰るという計画でした。

何に感動するか。
満身創痍のこの宇宙船に、なんとかミッションを遂行させようと諦めない技術者達の創意と粘りに感動するのです。
相手は単なる機械ですが、エンジニア達の願いが乗り移ったかのようにもうすぐ戻ってきます。
・・日本人的ですね。

興味がある人はググって見てください。(P)



潜水艦

信仰が進む?

大雪の中、小杉に向かって国道??号線を走る。何度も滑りかけ逆ハンドルを切る。
雪国仕様でないため、ワイパーも凍ってしまう。雪道を走るというより潜っている感じ。潜水艦状態と呼んでいた。
で、その時どう思っているか?ある種の高揚感、充実感がある。自分は頑張っているんだと。
この意識は否定出来ない。別に悪い事ではない。仕事上でもよくある事だ。

このように苦労することで、信仰が進んでいると言う雰囲気を味っていた。
今考えてみれば、雰囲気を味わっていただけで有り、信仰が進んだなどと言うことは全く無かった。
でも、当時は大真面目だったと思う。ある時、ふと道を誤ったことに気づいたのは不思議としか言いようがない。
残っている人も紙一重の違いと思うのです。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏             (p)





言葉

  身体は1mmも 動きません。   動かすことが できません。

 「 必ず往生させますよ 」 との 声が聞こえてきます。


  後生の事は わかりません。    知る知恵が ありません。

  阿弥陀仏も わかりません。    わかる知恵が ありません。

  南無阿弥陀仏も わかりません。  計る知恵が  ありません。


  ただ「 助ける 」の声だけが  聞こえます。

  身動きのできない私は、 そのお言葉を ただ聞くばかり。 他には何も できません。


  後生の事は わかりません。    知る知恵が ありません。

  でも そのお言葉が  ありがたいのです。     (m)

信心の沙汰

観念の遊戯

「善をすると善ができない自分が知らされる」
1回だけ参加した"信心の沙汰"で、かなりの人がこう発言していた。
「善をしなければ信仰は進まない」しかし「善が間に合うということでは無い」
を変換して理解するとこうなるようだ。

そこで指摘した「若し本当にそうなら、それは善が間に合うということではないか」

「観念の遊戯では通れない。実地に善をやって見なければ知らされない。」
「自分は実践して知らされた」との発言も。

そこで言う善とは何か知らないが、仏教を馬鹿にしていませんか?
真偽検証の淳心房殿がコメントしていたがそれこそ観念の遊戯じゃないのかな。

願っています。一刻も早く、抜け出さんことを。(P)


隅っこ

いつからか あらわれて 「必ず 助けるよ 」と 呼んでおられました。

  けれども・・

   「 呼び声を聞かない私 」  
 
   「 信じる心がない自分 」  が気になって 呼び声は 隅っこへ ・ ・ 。

    聞かない私 は 聞かないまま。 信じる心 も やはりない。


   お呼び声も 変わりません。
 
   「 必ず 助けるよ 必ず 助けるから 心配しなくていいよ 」

   ずーっと ずーっと  そう言い続けて下さっている ・ ・ 

そんな感じがします。(m)

(かわいいな~。つぶらな瞳!) と思いながら

 犬の写真集を  パラパラと見ていたら

 どこからか  「必ず仏にしてみせる」  との声が 響いてきました。


 阿弥陀様は犬にも本気なんだ・・!!!              (m) 

マイコンツール

マジックワード

マイコンというと昔はパソコンの事でした。PC8001とか。(古い!)
今ではマイクロコンピュータの事になります。
Z80、H8、V30、8086、RISC......
ツールはクロスアセンブラ、Cコンパイラ、MASM...
失礼しました。こんなの判る人は同年代ですね。

コンピュータの方では無く、マインドコントロールについてです。
嫌な言葉だと思います。

マインドコントロールツールとしてのマジックワードを紹介します。

1.後ろ向きな発言はするな
2.~させて頂く
3.深いみこころ

他にもあると思います。
これらは悪いばかりでは無く、人生をわたる上で必要なこともあります。
しかし、度を過ぎないことが大前提です。

自分も、長いこと人生懸けてやってきたので(命は懸けていない)マイコンは簡単には
抜けないかもしれないですが、しょうが無いじゃないですか。

南無阿弥陀仏
(p)


目から鱗 その3

観無量寿経

考えてみれば、自分で読んだことが無かった。
聖典セミナー『観無量寿経』(梯實圓著)を手がかりに読んでみた。

観法がグレードアップしていく様子に圧倒されてしまった。
浄土の荘厳のゴージャスさと、それを観想する困難さから、とても人間にできることでないと判る。
「出来るかできないか、やってみなければ知らされない」と言うレベルじゃない。

仏の教え、仏の慈悲というものを軽く考えていた。
(P)

目から鱗 その2

誡疑讃
 
 如来の諸智を疑惑して
 信ぜずながらなほもまた
 罪福ふかく信ぜしめ
 善本修習すぐれたり

この御和讃は、19願の善に励んでいる人を励まされたものだと、聞かされていた。

でも、これって”誡疑讃”の中に有り、聖人がわざわざ
『以上二十三首、仏不思議の弥陀の御ちかひをうたがふつみとがをしらせんとあらはせなり。』
と書き加えておられるので、上記の解釈は無理がある。

無知とは恐ろしいもの。
もちろん、以前使っていた聖典にも書いてあるのでよく読めば分かる。
でも、カタカナで読みにくいので後ろの方まで見なかったので知らなかった。
せっかく、教学講義とかあるのだからそのぐらい教えて欲しいよね。
無理に決まってるか(P)

目から鱗 その1

聖典のこと

ずっと愛用してきた真宗聖典(法蔵館)。
もちろん、某会の推奨品。だから、これが一番と信じていた。

あるサイトで浄土真宗聖典註釈版(本願寺派)がいいと知って
試しに購入したところ、字の読みやすさ、構成のわかりやすさに驚いた。

何より、書物の意味を伝えようとする意欲に溢れている。

恥ずかしながら、善導大師の二河譬が散善義にあるということは知っていても、
廻向発願心釈の中にあるということを知らなかった。
そんな話を聞いたこともなかった。
浄土真宗聖典註釈版ではこれが分かりやすい。

これに類することが他にもあるので紹介していきます。

購入してみたら如何でしょう。(P)

ブログ開設のご挨拶

これから、思いついた事を書かせてもらいます。

デビルマン。

何故か好きなキャラクター。

私は親鸞会をやめたけれど、別に人間が変わった訳じゃあない。

ただ、教えが変だと思ったから離れただけです。

私が会にいた時に、離れていく人に対してまるで悪の権化のようにいう人があった。
自分はその人に対してそんなふうに思ったことはなかったけど・・。

「裏切り者の名を受けて・・・・♪」
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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