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一緒

ふだんは 「やる気は やっているうちに起きてくるもの」というのが持論。

それなのに、やらなくてはいけないのに、どうしても動く気がしない時があります。

そういうとき、家のことなら、主人に「一緒にやって。」と声をかけます。(出張の時はいないので頼めませんが)

「ねえねえ、いっしょに洗濯物干して~。」
「今日はいっしょにごはん作って~。」
「わたしは〇〇を掃除するから、△△を掃除してくれる?」

主人は、だいたい「いいよ。」と答えてくれます。

その返事を聞いただけで、やる気が60%くらい回復します。

そして、一緒にやっていると、やる気はすぐ100%になります。

一緒にやっていると、気持ちも軽やか、作業もはかどります。

身近に「一緒にやって」と、頼める人がいるありがたさを感じます。

子供の親で、最近は母子家庭、父子家庭も増えてきました。

何でも一人でやらなくてはいけない、その精神的厳しさを考えると、本当にすごいな、と思います。  (m)
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違和感

S会在籍中 ・・・

「19願の教えにしたがって、S会で教えられるところの善に励んで宿善を厚くしなければ、(18願に)救われない。」と、固く信じて聴聞・活動をしていました。

けれど、一方、歎異抄の「弥陀の本願には、老少・善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とす」とのお言葉が、
気になって、気になって 仕方ない。

何かが違うのではないか?

何か大切なところを自分は聞き誤っているのではないか? との思いが、どんどん強くなり、

講師に質問するも、はっきり返答がない。どこかに回答はないかと探していて、安心問答を見つけました。


真実信心が説かれている感じがする・・けれど、異安心だったら・・、ひっかかったら大変だ!!

S会の講師に質問してはっきりしなかった質問を、安心問答に3回質問しました。(S会では文章からたぶんM本講師が回答して下さっていた。誠意は充分伝わってきたのですが・・。)

回答の速さ、明確さ・・・圧倒的な差を感じました。
そして、文章を通して自分の「お慈悲な阿弥陀様だから、いつか助けて下さるだろう」という信心が崩された動揺・・・。

上司からは、「安心問答を見てはいけない、と 会長先生からのご指示です。」と言われました。

「真実かも知れないと感じたので、たとえ獲信の遠回りになったとしても、自分の目で確かめたい。今から読むのをやめることはできません。」と答えました。

あのとき感じた違和感は、阿弥陀仏からのご催促であったに違いないと思うのです。

そして、安心問答を見つけれたことも・・。   南無阿弥陀仏   (m)

感動したこと2

ディズニーランド

7,8年ぶりに行ってアトラクションの待ち時間が大幅に短縮されていることに驚きました。

工場等の生産システムに”タクトタイム”という言葉があります。次の工程に送るまでに必要な時間の事です。
生産システムを設計する場合、常にタクトタイムとの戦いになります。
このタクトタイムを0.1秒縮めるために格闘するわけです。

ランドのアトラタイムクションも、知恵を絞ってタクトタイムを短縮したに違いありません。

例えば人が乗り込む時に、普通はかごを1度停止させますが、これが時間のロスを生む。
そこで待機場所をベルトコンベアにしてかごと同速度にすれば、かごは停止させなくてもスムーズに乗り込める。
(リレーのバトンタッチを想像してください)

0.1秒単位の積み重ねで、待ち時間の短縮を実現させている事が読み取れます。

待ち時間を短縮し、来場者に少しでも気持良く過ごしてもらおうということが徹底しています。
経営者や、スタッフ、アトラクションを支えるメーカー、設計者、プログラマー達の心意気が伝わってくるようで感動しました。


有難う!(P)

mixiでの議論2

mixiでの議論2

最近の議論について内容以外で感じたことを書いてみます。
議論を見ている人はお気づきと思いますが、以前の親鸞会で言うところの法論とやり口が同じです。
途中からその傾向が顕著です。

文体までそっくりです。
  (例)何々でありましょう。何々するほど時間の無駄。何々のオンパレード
     体言止めを多用する。

以下に特徴をまとめてみました。

相手の質問にはまともに答えない。質問で返す。
自分の主張は小出しにする。
相手の主張に納得出来る部分があっても認めず、全てを否定する。
挑発と揚げ足取りに終止する。
同じことを聞き続けて、如何にも相手が答えていないかのように印象付ける。
相手の主張を否定しながら、何故かという理由を言わない。

古い会員はご存知と思いますが、討論会というものが奨励され、その時に上記のやり方が良いとされていました。
事実、「なぜ答えぬ」、「法戦」シリーズ、最近ではT企画の法論でも同じです。

彼らはこのやり方が一番良いやり方だと思っているのです。
50年近く全く進歩していないのです。
「T会長先生の法論のやり方が絶対だ」という考えに支配され、そのやり方を強制されるのだと思います。
このやり方ひとつを取ってみても、会長絶対主義に支配されていることが分かります。
それがもはや時代遅れであろうと、内心これでいいのかと本人が思おうと関係ないのでしょうね。

現在の弘宣部の責任者が、私の学生時代に夏合宿の講師をしたことがあります。
その時黒板に書いてまで強調していた言葉を忘れることが出来ません。

「一向専念善知識」

その人が指導している議論とすれば、まともであるはずが無いですね。
(P)

救い

私は 「 救われた 」とも 「 救われていない 」とも、思っていません。

「救われた」と思っていないのは、自分の心のなかには「信心」といえるような確たるものはなにもないからです。

あるのは煩悩。三悪道へ行く種ばかり。極楽へ行くものは、何も持ち合わせがありません。

「救われていない」と思っていないのは、阿弥陀仏のお心がハッキリしているからです。

「必ず助ける。決して捨てない。念仏を称えて極楽へ生まれておいで。」

私のために 阿弥陀仏の命がかかっている。

真実信心か、異安心か、自分ではよくわかりません。

往生浄土の一大事ですから、間違ったら大変です。

よってつっこみは大歓迎です。

補足:つっこみ大歓迎というのは、他人の信心を判断できるという意味ではなくて、信心の沙汰ができてありがたいという意味です。誤解される方があるといけないので、念のため。     (m)

自力と他力

自力と他力が切り替わるのだと思っていました。

黒い紙と白い紙との境目が、一念なのだと。

けれども、他力は既に届いていました。

十劫の昔から、満ちみちていました。

自力の心が邪魔をして、その事実がわからなかったのです。

自力に他力を遮る力があったのではありません。

勝手に目をつぶって、「私には、届いていません。」と言っていました。

今は 届いている事実そのままに、 

「絶えることなく届いている」とわかりました。    (m)

刺激

常に刺激を与えてくれる存在は有り難いです。

そういう意味で、最も身近に刺激の塊のような女性がいるということは大変幸せです。

自分だけでは、目覚めることができなかったかも知れません。

有難う。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。(P)

人情

人情というもの・・・。

子供をかわいいと思う気持ち、小さい子供が親を慕う気持ち、夫婦愛、兄弟愛、友情、恋愛感情、くされ縁、恩義、共感する心etc.

情が動きだすと、「 離れたくない 」 「離したくない 」 「 離れられない 」と感じます。

執着に他ならないのですが、そこから、期待となり 要望となり、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦・・・

自分も苦しみ、他者も苦しめることが起こってくると思います。

”恩愛はなはだ絶ち難し”

けれども、絶つ必要はないし、恩愛自体は大切だと思うのです。

「阿弥陀仏は、何も私に期待されていません。できないと分かっておられるからです。ただ、助けたいの心です。」

悲しいとき、苦しいとき、この言葉を思い出します。     (m)

文章

mixiでの三願転入の議論について

その中で気になる文章がありました。

○へいさんが、○にゃんさんから来たメッセージ(私信)を公表しました。
当然非難が起こるのですが、それに対する弁明の文章の一節です。

>余計なお世話かも知れませんが、
>○にゃんさんの反省を促す気持ちは変わりません。
>○にゃんさんのことを思えばこそです。

○へいさんと言う人は真面目そうな人だと思っていました。


しかし、普通の人が他人に対して以下のような言葉遣いをするでしょうか。

”○にゃんさんのことを思えばこそです。”

傲慢ですよね。自分の子供にでも安々とは言えない言葉だと思います。

彼の受けている指導や、所属する団体の体質、人に接している態度が出ていると思うのです。

言葉は恐ろしいものです。(P)

観念の遊戯補足2

あなたの心に白楽天がいるのです

昨年の降誕会。 

覚えている人もいるでしょう、鳥の巣禅師とのやりとりのあとの話。

判ってはいても、実際にやる事は難しいと言いたいのだろうが、

この言葉を聞いて「この人は聞く人の心を弄んでいるに過ぎない」と気付いた。

そして、一気に醒めた(冷めた?)気持ちにさせられた。

どこまで行っても、「まだまだ実践が足りん」と言われれば、その通りですと言うしかない。

これではキリがない。何かが知らされたような気がするだけで、実は何も変わっていない。

堂々巡りの観念の遊戯じゃないか。 

こんな教えが浄土真宗であるはずがない。

気付かせてもらって感謝する気持ちもあるが、言いようの無い怒りを覚えた。

(P)

観念の遊戯補足1

観念の遊戯補足1

「観念の遊戯では通れない」「実地にやってみてらされることがある」

「実際にやってみて出来ない自分が知らされる」

会の人でこのように言っている人が多い。

と言うより”修善が獲信の為の方便になる”という説明でこのように聞かされてきた。

つまり で判っただけではダメで、実際に体にかけてやってみて初めて知らされると言う。

しかし、実地にやってみて知らされるという”知らされる”のはどこで知らされるのか。

で判るということではないのか。それを観念と言うのではないか。

仏教で教えられる善の意味を知ろうともせず、観念の遊戯をしていることに気付くべき。


「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」

南無阿弥陀仏以外に何も無いじゃないですか。(P)






尽十方

自分には何にもありません。ゼロです。

南無阿弥陀仏で助ける、との仰せです。

捨てない、との仰せです。

おまかせするよりありません。

阿弥陀仏のお言葉がすべてです。

「 阿弥陀仏如来の光明は十方世界に満ち満ちて、届かないところはどこにもない。」

何と力強いお言葉でしょう。 圧倒されます。

仰いで、ただただありがたいです。

なむあみだぶつ  なむあみだぶつ  合掌   (m)

聴聞

聞きたいこと

私が聞きたかったこと。

阿弥陀仏の本願とは何か。
救われるとどうなるか。どこが変わってどこが、変わらないのか。
疑情とは何か。



最近多かった内容。

因果の道理。人間の実相。三願転入。19願。
人生の目的。無常観。罪悪。

ほとんどの時間が因果の道理や、19願、人生の目的、無常観、罪悪の話で費やされる。
しかも、この内容は実に生き生きと熱っぽく詳しい。
後半はいつも駆け足で一番聞きたい部分はスルッという感じ。ヘタをすれば尻切れトンボ。
年々この傾向は加速する。

「どうすれば、救われるかということより、救われたらどうなるかを話をした方が皆さんの救いの近道である。現に教行信証がそうだ」
といわれていたじゃないですか。

ところで最近、親鸞会館での説法は無くなったのでしょうか。「座談会」ばかりのようですが。

阿弥陀仏のご本願が聞きたい気持ちは今も同じです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

(P)


エコ館

組織疲労

F館が完成したようですね。関係者の皆さんお疲れ様でした。

在籍していたときから何に使うんだろうと思っていた建物でした。


地熱空調について

エコロジー以前に金食い虫でしょうね。
通常の空調設備が不要になるわけではないようですし。
固体である土中から熱を吸い上げるとすれば相当な数のパイプが必要なことは素人でも想像できる。
毎年、配管の洗浄等のメテナンスに莫大な費用がかかり、初期投資の回収どころでは無いでしょう。
まともな意思決定機能がある組織であれば、こんな道楽のようなシステムを導入しません。
如何に組織疲労を起こしているか、伝わってくるようです。どうでしょうかH井さん。



コンセプトがはっきりしない建物はどの世界でもダメです。
会合場所ですか?部屋なら他にいくらでもあると思いますが。正本堂、本館、顕真会館が。
宿泊用ですか?(部屋に洗面やトイレ、風呂はあるのかな?)
自分は他人と一緒に寝たくないのが本音です。


そもそも、誰がこの建物を望んでいたでしょうか。

この件は会員の中で、さすがにおかしいと言っていた人が何人もありました。

私は、はっきり当時の支部長に言いました。聞く耳を持ちませんでしたが。(P)

ご利用者さんの息子さんは、脳性マヒによる身体障害者で、話したり歩いたりはできない方。

1週間前から、肺炎と大腿骨骨折で、自宅療養中でした。

発熱もてんかん発作もあったけれど、入院させてもらえなかったのです。

土曜に見かけたときは、笑顔も出て、ヘルパーに食事介助されていました。

「熱が高いから」と通院方法の相談の電話があり、「救急車を呼んだ方がいいですよ。」と言うも、

「ヘルパーも二人来てるし家族も揃っているから4人で自家用車に乗せ、通院させる。」との返事。

なんとなく胸騒ぎがして訪問すると、ヘルパーが後部座席で心臓マッサージをしていた。

車に乗せた途端、心肺停止したとのこと。触ると脈はない。

救命救急講習は過去に3回受けたことがある。

人工呼吸が必要だと思ったけれど、家族で、やろうという人がいない。

(もう死んでいる・・。狭い車の中では無理だ・・。もし感染症があったら

移るかも・・。) 習ったことが頭を巡りながらも、ちゅうちょしている間に、救急隊が到着。

自分も人工呼吸はできなかったのです。  搬送先で、死亡が確認されました。

自分の利用者さんは要介護者のご両親。介護保険法の対象者。

息子さんはまだ50代で身体障害者なので、障害者福祉法の対象者。別の事業所が担当・・。

色々気になりながら、自分の範疇ではないからと、線引きしていました。

もっと積極的に関わるべきだったのだ、と思いました。

Mさん、ごめんなさい。今日のことは決して忘れません。なむあみだぶつ なむあみだぶつ。

                合掌   (m)






 

ただ一度の念仏

 高校の社会の教科書。

「親鸞は、ただ1度の念仏で極楽へ往生できると説き、多くの民衆にその教えが広まった。」と書かれていた。

(自分がたった一回の念仏称えるだけで極楽へ行けるなんて!?そんな話を、当時の民衆は
本当に信じたのだろうか・・?ありえない!考えられない!そんなんで安心出来ないでしょう!)と、読んだ瞬間に思った。

なぜたった1度の念仏で往生出来るのか?

それは、阿弥陀様がそういう本願を建てられ、それを成就して下さったからなのでした。

南無阿弥陀仏に、私を極楽へ往生させる力があるのです。

だから、たった一度の念仏でも往生できるのです。

そのように違和感もなく思えるようになったことが、自分ながら不思議です。

南無阿弥陀仏。                (m)

布教師

プロフェッショナル

偉そうなことを書いてしまいますが申し訳ありません。

講師部の人に言いたいこと。

「親鸞会の講師部員である以前に独立した1布教師である事を忘れてはならない。」
私は今までずっとそういう視線で見てきました。(もちろんT会長も含みます)

ですから、親類の援助を受けているとか、妻子に養ってもらっている、極貧な生活をしているなどと、某処で馬鹿にしたようなことを書かれていることはさほど問題ではないと思っています。それは会の集金、分配システムの問題です。

世の中には、生産活動に従事しなくとも生活している人はいくらでもいます。
芸能人、スポーツ選手、その他もろもろ。講師部もその部類と思います。

しかし、いずれにしてもプロフェッショナルでなければなりません。その意識が欠如しているものは必ず消えていきます。

特に最近は布教師として会員の疑問に答える努力を放棄している事が多すぎます。

例:無謀な同朋の里事業に疑問を持つ会員は少なくありません。
  何故それを吸い上げ上司に報告出来ないのですか。
  〇〇さん、何度も言いましたよね。私の疑問は会長に伝わっていますか?
  自らも腑に落ちないものを「先生の御心だから」と人に言い聞かせるだけなら、
  布教師とは言えないと思います。

上の方にしか向いていない、自らの思考を停止させている自覚はあるでしょうか。

NHKの番組で日本屈指の山岳救助隊員が言った言葉を贈ります。

「プロフェッショナルに必要なものは、想像力(イマジネーション)である」

(P)



宿便

いつ亡くなってもおかしくない、と医師から言われていた方。

すでに 呼びかけても反応はない。

ここ1週間はわずかなトロミをつけた水分を摂っているだけ。

「おしもを洗いますねー。」と声かけをして横を向けたとき、

強烈な異臭とともに、おむつから溢れる、超大量の軟便を出された。

ほとんど何も食べていないのに・・・!

何度も洗い流しておむつを交換した。

おむつ交換の時、ビニール手袋をするが、どうしても便が付いてしまうことがある。

石鹸で洗えば すぐ汚れも匂いも消えるのだが、2回丁寧に石鹸で洗っても匂いが落ちない。

帰宅し、ママレモンの原液をすり込んで洗ったら、ようやく匂いがとれた。

「宿便」という言葉が頭に浮かんだ。

その二日後、その方は亡くなられた。

家族に迷惑をかけないように、ヘルパーが来たそのわずかなときに、出しきられたのだと思った。

ヘルパーをやっていてよかったと思えた瞬間でした。     (m)

どう生きる

功罪の功の部分

この事は人それぞれと思います。罪の部分については別の機会にします。
但し現在会に残っている人の中には、共通する感覚を持つ人もいると思います。

忍耐力、精神力が鍛えられたこと。つまり、多少の事ではヘコタレない。
しばらく会にいた人ならば判ると思います。我慢強くなければやって行けません。
苦しいことでも人間には耐性があり、次第に慣れてくることができると言うことを知った。

因果の道理(仏教で教えられる正しい因果律かどうかは別として)というものを教えられ、
物事を原因と結果という観点から見ることができるようになった。(普通のことかも)

不可解な人生を解く鍵が仏教にあり、中でも浄土真宗の教えにあることを示してもらった。
この事は親鸞会と縁がある以前から感じていたことではあったにしても、よりハッキリしたことは事実。
生きる上での指針や拠り所になった。

まとめ=いわゆる『どう生きるか』に役立ったということですね。逆の人もあるでしょうが。

でも、決して馬鹿にしているわけではないです。生きていく上では大事なことでもあるんです。


もちろん許し難い思いもたくさんある訳ですが。


以下はそのひとつです。

決定的に駄目だこりゃと思ったのは「あなたの心に白楽天がいるのです」と聞かされた時です。
これじゃ、浄土真宗の教えどころでは無いですよね。仏教でも無い。このことは別の機会に。
(P)

プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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