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勅命


「帰命」と申すは、如来の勅命にしたがいたてまつるなり。(尊号真像銘文)

「必ず往生させる。我にまかせよ」との仰せは、まさに勅命でした。

(まかせよって言われるけれど、どうやってまかせるの?)

(任せるって姿も形もないのに、木にもたれるようにはいかないし・・)

(確認もできないものにどうやってまかせろというの?)

(大丈夫という確信がなければ、まかせることはできない。)

(まかせるってどういうこと???)

そんなあれやこれやを思い、口に出して言っておりましたが、

有無を言わせぬお勅命に、計らいはすべてとられてしまって、

任させられてしまったのです。

本当に不思議なことです。

親鸞聖人の、勅命との表現がありがたいです。 南無阿弥陀仏。   (m)
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白道

「お前を必ず浄土に生まれさせる」との 

阿弥陀様のお呼び声が

雲霧の中を歩む 私の白道。

頼りなさそうなのに 頼りになる

不思議な道。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  (m)

 

おさとし

『私は阿弥陀如来さまの仰せの「たすけるぞよ」をそのまま素直に

いただきましたのです。』

私も一緒に言わせていただきました。

同じ言葉を何度も何度もくりかえし教え、口で言わせ、一緒に言って、

真実信心とはどういうものかを明らかにされる。

そのねんごろなおさとしが とてもありがたく、こうでなければ

自分のような愚鈍者はわからないのだ・・としみじみ感じました。

ご存命ならば、一度直接お聞きしてみたかったです。 

南無阿弥陀仏。    (m)

(『まことの真宗に遇う』:加茂仰順和上随聞記 ご法座CDより)

護念

「諸仏護念の益」

ある先生に、諸仏方が信心を護って下さるとはどういうことか?と尋ねた。

「あなたの口から念仏がでているでしょ?

あちらが先手なんです。私は後なんです。むこうが先手だから念仏が出るんです。」

との回答。

私の口から、念仏が出ていてくださっていること自体が、諸仏方に護念されている姿

そのものでした。

そのことに気付かせて頂きました。

南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏。    (m)

まこと

色んなことを思って、

色んなことを言って、

色んなことをやって、

たくさんのことをしたようだけれど

過ぎてしまえば夢を見ていたようだ。

いや、今のこのときも夢なのだと感じる。

線香花火のように、変わっては消えていく私に、寄り添って離れない南無阿弥陀仏。

変わりどおしの私に一体となって離れない、変わらない南無阿弥陀仏。

変わらないのは南無阿弥陀仏だけ。 なむあみだぶつ (m)

近く

とてつもなく遠いと感じていました。

自分には無理だと何度も思いました。

でも本当はすごく近くに、目と鼻の先まで届いていたのです。

分厚い鉄板の様な隔たりがあると感じていました。

自分だけは助からないと何度も思いました。

でも本当に薄紙一重だったのです。

南無阿弥陀仏となられて、今も、これ以上近づけないところまで来て下さっているのです。

私には助かる手がかりは何もないけれど、

阿弥陀仏の願いだから、私にも届いたのです。

阿弥陀仏の願いだから、あなたにも必ず届くのです。

これだけは、まちがいのないことです。  南無阿弥陀仏 (m)

まこと

自分には助かるものなど何もない。

信心のかけらもない。

阿弥陀仏の本願のみがまこと。

それは、私の口から出てくださる南無阿弥陀仏そのもの。

念仏のみぞ、まこと。

なむあみだぶつ。    (m)

転機

大学に合格したら、キリスト教を信じて生きていこうと決めていた。

あのとき、親鸞会とご縁がなかったとしたら・・、と時々考える。

信じれないことに悩みながら、ずっと教会に通っていただろう。

主人と出会うこともなかっただろう。

田舎の兼業農家の跡取り娘として育てられた。

「将来はお婿さんをもらうのだ」と、何度も聞かされた。

学生時代、祖母が持ってきたお見合い話を何度か断った。

あのままいけば、ずっと地元で、仕事と農業をしながら、神を信じれなくて

苦しみながら、一生終わったに違いない。

親鸞会教義に疑問が起きて、聞いても答えてくれる人がいなくて、苦しくて

仕方なかったとき、たまたま見つけた安心問答で、人生が変わった。

阿弥陀仏の本願に出会えてよかった。

知らなくて人生が過ぎてしまったならば、まさに闇から闇だった。

今生も未来永遠も真っ暗闇だった。生きながら、死んでいるのと同じだった。

この2つの転機があればこそ、と思う。

阿弥陀仏の本願に出会えて本当によかった。

「遠く宿縁を慶べ」・・ひとつ歯車が違っていたら・・。

阿弥陀様のお働きなのだけれど、奇跡とも思えるのです。

恵まれた因縁を喜ばずにはおれません。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。   (m)

不思議

自分は何も変わらないのに・・

後生の事もまったく分からないのに・・

「必ず浄土へ生まれさせる」との阿弥陀様の申し出があって、

私は死んだと同時に、浄土へ生まれることになっています。

全く不思議なことです。

本願によって、そうなっているのです。

なむあみだぶつ  なむあみだぶつ  (m)

知識

「曠劫多生のあひだにも  出離の強縁しらざりき
 
 本師源空いまさずは   このたびむなしくすぎなまし」(高層和讃)

「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、

 さらに後悔すべからず候ふ。」(歎異抄)

本師源空(法然上人)へのなみなみならぬ思い入れが感じられる。

真実信心を獲て、阿弥陀仏の本願を説かれる知識(先生)はそれなりに

おられたにちがいない。

けれども、救いを求めて 比叡山で20年、厳しい修行をなされ、仏教の学問を

学ばれた親鸞聖人だからこそ、同じく比叡山で27年修行と学問にに打ち込まれた

法然上人のすごさ、学問の深さがわかられ、尊敬の度合いも半端でなかったのだろう。

「宗の淵源をつくし教の理智を極めて説き給ふ」(御伝鈔)と、書かれている

ことからも、感じられる。

何回も手を加えられ、一文字一文字意味を検討し、選んで書かれた親鸞聖人を想うとき

これが、八文と呼ばれた庄松同行や、泥棒がやめれなかったとかいう耳四郎から

だったら、とても話を聞けなかったのではないか?

聞く気さえ起きなかったのではないか?と思う。

善知識と言っても、合う合わないがそれぞれあると思う。

阿弥陀仏の本願を正しく説いてくださる方であれば、それぞれが気に入った方から、

聞かせていただけばいいと思う。知識は、一人でも複数でもいい。

また、それが今生きている人だろうと、本やCD、DVDだろうといい。

「弥陀に帰命せよ。」と教えてくださる方が、それぞれの善知識なのだから。(m)

親鸞会2チャンネルより

たまに親鸞会ブログナビの2チャンネルをみる。

親鸞会をやめた会員を非難する言葉がいろいろ載っていた。

「腐った林檎だ、放っておけば周りの林檎まで腐ってしまう、取り除いて捨てるのが一番良い」

「癌は放っておけば転移する。切り取らないと命取りになる」

「しろあり、なめくじ」等。

私も在籍時、講師が、やめた講師のことを「しろあり」「極悪人」「恩知らず」

などといって呼び捨てにしているのを何度か聞いた。

2チャンネルを読んだとき、これらの非難の言葉が妙にありがたかった。

「腐った林檎」は捨てられる。「癌」は切り取られる。

「しろあり」も「なめくじ」も嫌われ者。

確かに全部わたしの姿。ひどいものだな、恩知らずだな・・としみじみ。

そんなものを必ず救うとの本願がありがたい。

そんなものだからこそ、摂取して決して捨てないぞ、とのお慈悲がありがたい。

阿弥陀様のご恩を知らされるご縁となった。ありがとう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。  (m)
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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