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大願業力

親鸞会の原D講師。
 
Mixiで、「必ずこの場で親鸞聖人の教えを明らかにします。」と宣言

しながら、色々つっこまれて返答に窮すると、介護の多忙を理由に

返事に間が空くようになり、いつの間にか何の音沙汰も無くなり、自然消滅。

でもご自分のブログは定期的に更新されている。

浄土真宗と言いながら、聖道門的な内容が多いのでコメントを入れたら

承認制のため表示されず。ブログをほめたたえたコメントはしっかり載っていた。

その後、内容がおかしいと感じて、質問のコメントを書くも、今度は受信拒否。

別に悪口や雑言を書いたのではないのです。

守らなければならないのは、自力の信心だからです。

そうやって、自分に都合の悪いことには耳を塞いで聞かないようにしていても、

眼を閉じて見ないように読まないようにしていても、

阿弥陀様の大願業力は強力だから、

「必ず聞かせる」のお慈悲は無限だから、

原Dさん。あなたも必ず聞かされるのです。

底なしの、阿弥陀様のお慈悲がありがたいです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。    (m)



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言葉

阿弥陀様が「必ず浄土へ生まれさせる」と言ってくださるから

私は浄土へ生まれられるのです。  南無阿弥陀仏   (m)

退院

年末になって、3人の方が急に続けて退院となり、年末年始を前に

ご様態の確認や、介護プランの打ち合わせ・調整でバタバタしている。

介護保険はプランがあって、それに沿って実行していくのが基本大原則。

プラン変更には、再度アセスメント、担当者会議、プラン作りと段階を経なければ

ならず、高齢で病気を抱えて体調の変わりやすい方々を支援するのに、やることが

多く、時間に追われてしまう。

最近は独居も多く、お子さんも遠方が多いので会議一つでも日にちの調整が難しい。

昨晩も一人、入浴中に急にめまいを起こし、救急車で搬送。

結果は、軽い脳震盪ということで大事には至らず、検査と点滴で帰宅となった。

しかし90代半ばの一人暮らし。搬送された病院先で、ヘルパーと、責任者と私と

一緒にご様態を確認し、年末年始のプランをその場で話し合い、お子さんとは(遠方の

他県のため)携帯とメールでやり取りし、(プランが変わると必要なお金も変わるので)

状況報告しながら、プラン変更と追加を決めた。

年末年始はデイも休みのところが多く、ヘルパーも薄手になるのでプラン自体2ヶ月近く前から

相談して調整している現状で、この年末に来ての調整は本当に担当者一同大変なのだ。

そのお客様に長く入ってくれている事業所なので、無理して調整して入れてくれる。

病院からの帰りのタクシーからヘルパーが付き添い、早速夜の食事介助と就寝準備の

サービス1時間を追加した。

資料を揃えて、翌日にはサービス事業所に送らないといけない。

新規の依頼も夕方突然きて、翌日初回訪問の約束をしたが、今日が市役所は年内最終日。

提出書類の受付は来年からだから、その間のサービスを先行させると自費になる。

生きた人間だから、四角四面にはいかないのだ。

とりあえず、必要そうなサービス事業所2箇所に声をかけ、一緒に訪問予定。

連絡をくれた息子さんは仕事を半日休んで参加してくれるとのこと。

困っているときにタイムリーにそこのところを支援できるのが理想です。

いろんな方の協力があって成り立つ在宅介護。(m)

磁石のたとえ

親鸞聖人が、阿弥陀仏の本願力を磁石にたとえておられる、と 聞かせていただいた。

鉄くぎには動く力など何も無いけれど、磁石に鉄を吸い付ける力があるから

磁石の力でくぎはピタっと磁石にくっついてしまう。

せとものではくっつかない。

煩悩具足の凡夫を助けるために建てられた本願は、煩悩具足の私を見ぬかれて

煩悩具足のものを救うようにつくられている。

磁石が鉄釘を吸い付けて連れていくように、

南無阿弥陀仏が私を浄土まで連れていってくださる。

その為だけにつくられた南無阿弥陀仏。

私にピッタリの、私の為につくられた南無阿弥陀仏。

お慈悲が大きすぎて、味わいきれなくて、ありがたくて、もったいなくて、

申し訳なくて・・。

しばらく感慨にひたって、ぼーっとしておりました。

命あるかぎり聴聞させて頂ける幸せ。もったいないです。幸せです。

南無阿弥陀仏。     (m)

定善・散善

修練

子供がピアノの発表会でベートーベンの曲(ソナタ17番第3楽章)を弾くと言って練習をしていました。
ちゃらんぽらんに見える息子ですが、僅か2,3回の練習で意外な程弾けるようになっています。
訓練によって、楽譜を見てそのまま指が動くようになるのだそうです。
あんな記号の羅列をよくもあのスピードで追えるものだと感心しました。

それはともかく世界的なピアニストの演奏を見ていると、目にも止まらないぐらいの速さで指が動いています。
リストの曲などはとても人間業とは思えないほどの技巧が要求される曲もあります。
同じ人間と言っても、中には長く厳しい修練により常人では到底成し得ない能力を身につけている人もあるのです。

ところで観無量寿経には、定善ができたならば浄土に往生できると説かれています。
定善とは心を一点に集中して、浄土や阿弥陀仏を経典に説かれるとおり寸分違わず思い浮かべる行とあります。
常人には到底成し得ない行ですが、絶対に誰もできない行とは仰っていません。

そこで親鸞会の人に言いたいのですが、定善には挑戦しないのでしょうか。
「善をしなければ信仰は進みませんよ」と言いながら、定善については無視するというのは仏説を馬鹿にしているとしか思えません。
(P)

眼(まなこ)

阿弥陀様がまっすぐ私だけを見つめていて下さるから

私が顔を上げれば いつでも阿弥陀様と真向かい。

私の瞳も 阿弥陀様に向かってまっすぐ。

裏切られない。      南無阿弥陀仏。   (m)

ネットで聴聞

インターネットで、紅楳英顕先生のご法話を初めて聴聞させて頂いた。

お名前は、「本願寺なぜ答えぬ」に出てくるので 以前から知っており、本や論文も

いくつか読ませて頂きました。

温かな人柄が伝わってくるような、はっきりとしてほがらかなお声ですね。

親鸞会に長らくおりましたが、どんどん教義がおかしくなり、歎異抄の親鸞聖人のお

言葉に導かれ、真実信心を説いて下さる方々との出会いにも恵まれ、昨年退会しまし

た。

紅楳先生の論文も断章された引用しか知らず、既に親鸞会教義の間違いを指摘されて

いたのに「本願寺なぜ答えぬ」こそが真実だと信じ、売り歩いたこともありました。

こうして20年以上の歳月を経て、他力信心の教えにご縁がありましたことを深く感

謝しております。

その他の録音も、楽しみに聴聞させていただきます。  南無阿弥陀仏。 (m)

なぜ救われたのか分からないのです。

自分には救われるものなど何もないから・・。

阿弥陀様が一方的に救って下さったのです。

ただ「助けたい」のお心で。

阿弥陀様の、助けたいとのお慈悲の心ひとつで、助けて頂いたのです。

それだけはわかります。

だから「どうしたら救われるのか?」という救われる道は、尋ねられてもわかならいです。

「阿弥陀様が助けてくださるんですよ。」ということだけは

自信を持って言えます。

阿弥陀様が、助けたいとのお心ひとつで助けて下さるのです。

南無阿弥陀仏。        (m)

顕正新聞4

方法論

ー念多念証文のお言葉
「おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。」

このお言葉について法友通信の中に
「このお言葉は、後生の一大事をどうしたら解決できるかを書かれたものだと教えて頂きました。」とありました。

また別の人は
「釈迦弥陀のご苦労があって、後生の一大事が知らされた親鸞学徒に、最も知りたい解決の方法をズバリ教えられたのが『一念多念証文』のお言葉だとハッキリしました。」と書いています。

自力の善業をして進んでいくことが後生の一大事の解決の方法だと考えているとすれば、とんでもないことです。
方法といっていますが、阿弥陀仏のお力による以外の何かがあると思っているのでしょうか。普通に読めば方便から離れなさいと教えられているお言葉を、勝手に捻じ曲げてしまうのですね。(P)

念仏

車のラジオから童謡が流れてくる。

それに合わせて 念仏を称えてみた。

ナムアミダブツナムアミダブツ、な~むあみだぶつな~むあみだぶつ、南無阿弥陀仏ー南無阿弥陀仏ー。

メロディーのテンポや音に合わせて称える。

聞いている人もいないので、だんだん大きな声でお念仏。

念仏が報謝になるとはありがたい。

楽しい念仏でした。   南無阿弥陀仏      (m)

アニメ頒布

『世界の光親鸞聖人』のアニメができたとき、

「これは現在のご文章だ。世界中に真宗改革の波が起きる」と言われ、会員は

販売員となって、アニメ頒布(販売)活動が活動のメインになった時期があった。

ある高齢の会員が、たまたま「孫の結婚式がある」と言ったとき、担当講師は

「引き出物にすればいいから」と、有無を言わせず10本アニメを置いていった。

講師の指示はT先生の指示と教えられる。置いて行かれたものを返せない。

従っていくのが宿善を厚くする道だから、言われるまま15万を渡し、アニメを購入。

結局、渡せたのは2本。残りは、部屋の押入れにお蔵入りした。

10年以上経ってから初めて口にした事実。「他人に言ったのは初めてです。」と

言って、話して下さった。

長い間ご法座のお世話もしてこられた方。

その方も販売員だから、”自分でプレゼント用に購入”とすれば(当時は)10万円だったのです。

それなのに、担当講師が販売したことになっており、言われるまま定価で支払い。

アニメ頒布目標があり、講師も本数を出すのに必死だったのでしょう。

大人しい、言うことを聞く会員に、目標を達成する為にアニメを押し付けたのです。

その方が亡くなった後、8本もの同じアニメを見つけた息子さんは激怒されました。

他にも色んなことがありました。

「誰よりも光に向かっているのが講師部」と言いながら、実際は販売目標に追われ

煩悩丸出しの、世間以上にえげつない事でした。

悲しい思い出のひとつ。   南無阿弥陀仏 (m)

会費制度

「牛の乳は毎日絞らないと出なくなる。御報謝も同じ。

たまにまとめて出そうとしていても、なかなか財施できないものなので、

会費制度を改定して会費を御報謝込みにしたものにし、今後一切御報謝はなくします。」

と発表があった。

「機関紙『顕真』は、1燈(月1万円)以上の人がもらえる。」

「もともと正会員だった人は、最低2燈(月2万円)は出させていただきましょう。」

「福徳会員(6燈:月10万円)以上は、毎年T先生と旅行に行けます。」

10燈(月100万)までありました。

ところが・・・、程なくして御報謝募財が再開。

聞法ドメイン財施、地下道御報謝、緞帳御報謝、仏壇の座布団御報謝、壁画御報謝、

法輪閣絵画御報謝、第一期追加工事御報謝、F館御報謝 etc.

担当講師に、「御報謝は会費に含まれることになったのではなかったのですか?」

と尋ねると、「より私たちが財施の御縁を求められるようにとの、先生のご配慮です。」

先生の私たちのためのご配慮の一言で、約束が簡単になくなってしまうことに、

(世間ではありえない信用をなくす対応だ、仏法者としても約束を破るというのは

よくないのでは?)と、違和感を感じました。

・・が、「より財施して宿善を厚くして救われてほしい」との先生のご配慮だと

我が身に言い聞かせて、違和感を感じながらも受け入れていました。

そういう事が何度もありました。

”善の勧め”と言いながら、約束を守るという、基本中の基本の善さえ、簡単に破って

平気でいるのがS会だったのです。

約束を違えて平気な体質の会だったのです。

離れられてよかったです。  南無阿弥陀仏。 (m)

正本堂建立御報謝

正本堂建立御報謝が最初に募られたとき、

たたみ1畳分が400万と聞かされました。

会合では募財が強力に勧められ「最低自分の座る分くらいは出させていただきましょう!」

と言われ、200万以上予約した人の名前は会合で発表されました。

我も、我も・・とかっこよく200万以上御報謝するとの名のりが続きました。

そして、予約額が目標額を達成したと伝えられました。

ところが、実際は予約しただけで納めない人が相次ぎ・・追加募財、追加募財。

親鸞会をやめる直前では、第四次正本堂御報謝を納めている最中でした。

振込先は直接F銀行の口座。

銀行の指示とは思いますが、それだけ借入金の支払いが切羽詰っていたのでしょう。

御報謝が宿善になって、救いに近づくと真剣に信じていたあの頃。

「救われたい」から、がんばって出していました。

でも、募財と信心とは何にも関係なかったのです。

阿弥陀様はお金など要求されていなかったのです。 

愚かでした。       南無阿弥陀仏。   (m)      


光に向かって

「光に向かって進ませていただきましょう。」

『光に向かって進ませていただきます。」

講師や会員とのやりとりで必ず最後に書かれていたフレーズ。

私もよく書いていました。何の違和感もなく・・。

けれど、一体いつまで光に向かって進むつもりなのか?

時間も体力も仏法一筋に見える専任講師方でも、信心決定したという話は全然聞かない。

一体いつ救われるつもりなのか?

「光に向かっている最中です」とのんびり構えているうちに、寿命が来てしまう。

今救われていないという事実に、なぜ驚かないのか。

『如来の大悲、短命の根機を本としたまえり』

今命一刹那に縮まった私を救う本願であると、言われているではないですか。

平生の救いを未来に押しやって、「光に向かっています」と、のん気に言っている場合ではないのです。

南無阿弥陀仏      (m)

顕正新聞3

電撃

顕真10月号から「宿善と聴聞と善のすすめ-弥陀の救いに値うまで」という連載が始まったそうです。
電撃が走ったご教示と題してその感想が掲載されていました。

「仏法の目的を明らかに教えていただき、どこまでも右に左にくすぶる私の性根を白道の真ん中に据え直してくださいました(後略)」

この方はそれこそ何十年も親鸞会の特専部員として在籍している人です。
自分も同じでしたから気持ちは分かりますが、こんなことを何回繰り返したところできりがないのだと気付くべきだと思います。
電撃が走ったと書かれていますが、自己満足でしかないのです。今まで何度も同じ事を繰り返してきたはずです。

浄土真宗はそんな教えでは有りません。親鸞聖人は教行信証教巻の最初に仰せです。
「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」
浄土真宗は徹底した他力回向の教えです。私の性根をどうにかしなければならないのなら、誰が救われるでしょうか。いつ救われるのでしょうか。
そんな事を浄土真宗だと教えている人物や団体から早く離れることが先決です。

南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。(P)

顕正新聞2

帖外御文

報恩講では後生の一大事とは死んで地獄へ堕ちるということだという根拠として、
「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば」という御文章を出していたようです。

顕真11月号の巻頭言にも
---------------------------
「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなればいかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて弥陀の本願をたのみ他力の信心を决定すべし。」(御文章)
後生とは、未来永く地獄に堕ちて苦しむことをいう。だから急いでこの後生の一大事解決のために、阿弥陀仏の救いを求めねばならない。
---------------------------
と有ります。

聞き覚えがない御文章であったため、少し気になり調べてみました。

帖外御文巻4に以下の御文章が有ります。
「馬黒月毛2疋のぼせられ候かえすがえすよろこび入り候。さりながらわづらいいたりに候。
それにつきて人間は老少不定の界にて候あいだ、世の中は一旦の浮生、後生は永生の楽果なれば今生はひさしくあるべき事にもあらず候。後生という事は、ながき世まで地獄におつることなればいかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて弥陀の本願をたのみ他力の信心を决定すべし。(後略)」

自分たちの言ってきたことに整合性を持たせるために、意図的に都合の良い部分だけを切り取って宣伝する。
前半の部分をごっそり省いています。得意の断章です。
蓮如上人がこのことを知られたら、どう思われるでしょうか。

そもそも、後生の一大事とは、死んで必ず無間地獄に堕ちる一大事という意味ではありません。
そのことは、飛雲 M講師からの反論-化土往生1(http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-99f1.html)に根拠を挙げて書かれてあります。

未だ親鸞会で教えていることが正しいと信じている人に問いたい。
”後生の一大事にはじまる”というぐらい大切な”後生の一大事”という言葉の意味を、今までと違う教え方をしているとに違和感を持ちませんか?
そして、この帖外御文の全文を調べて読んでみましたか?


顕正新聞1

顕正新聞

883号(報恩講特集号)を読みました。

ここには会長の説法の様子の写真はおろか誰が話をしたのかさえ書かれていません。
更に会長である高森氏の名前が出てくるのは、最後の体験発表の記事ぐらいです。
何故かは知りませんが、誰がどんな話をしたのか掲載するのは最低限のことだと思います。

話の内容の要約が一面に書かれていました。
----
仏教は後生の一大事に始まり、後生の一大事で終わる教えだが、その一大事にに二つある。一つは「一大事の往生」ともいわれ、死んで弥陀の浄土へ往って仏に生まれることをいう。もう一つは「後生という事は、ながき世まで地獄におつること」(蓮如上人)と説かれる一大事である。
----

親鸞会では、後生の一大事とは「一切衆生必堕無間のことだ」と言って来ました。
「一大事の往生」が後生の一大事とすると、よく使ってきた「後生の一大事の解決」という言葉は「一大事の往生の解決」と言う事になります。
言葉の意味がおかしいですよね。
文章の辻褄をあわせる為に「仏教は後生の一大事に始まり、後生の一大事で終わる」と書いています。
今まで散々言ったり、書いたりしてきた”解決”と言う言葉を省いているのです。

今まで殆ど言っていなかったことを唐突に言い出して、会員を混乱させる。
会員の皆さんは、振り回されているだけだということに気付くべきだと思います。

今回の新聞には、気になる点が他にもあります。
また書いていきたいと思います。(P)
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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