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光に向かってシリーズについて

前回の記事についてコメントを頂いて、思い出した事を書いてみました。

『光に向かって100の花束』という本ですが、実は10冊以上持っていました。しかし、資料価値が無いと判断して廃品に出しました。
何しろ、配りもしないのに『記念品』とかで渡される度に、断れずに貰っていたので増える一方でした。
以前は好きな本の一つで、感動した内容もありました。感動した部分ほど、剽窃の度合いの強いものでしたが。

今の会長の話は昔受けた大沼師の影響でさえも薄れて来て、ますます自己流の訳がわからない話になっているようです。「善をしなければ救われない」という考えが根底に有る以上、それと「念仏成仏」の浄土真宗の教えを関係付けようとすれば、訳が分からなくなるのは当然なのです。
(P)
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煩悩

愚痴、ねたみ、うらやまし心、名誉心、楽したい心、怒り・・。

社内でごたごたがあり、最近そういう縁が増え、嫌な心がいっぱい出てきて

気が滅入っていた。

醜いもの、悪い心は人にも自分にも見たくない。

けれど、そういう縁が来ると、そんなモノしか持たないから次々と出てくる。

自分がどんどん嫌ないじわるな人間になってしまう気がしていた。

もっと美しい世界に生きていたい。やさしく思いやりのある世界に。

そんな心を起こさせる縁とはすぐさま離れたいが、因縁あってか離れられない。

醜いものを丸抱えで阿弥陀様はそのままお浄土に連れていってくださると言う。

自分でも嫌になる者を。浅ましいわたしを。

物好きな阿弥陀様ですね・・・。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。 (m)

善ですか?

学生時代から何十年と年賀状のやり取りをしてきたのに、

親鸞会をやめたら返事が来なくなる。

「辞めた人は悪縁。悪人には近づくな。魚屋とけんかすれば魚臭くなる。」

「私たちの仏縁を守る為に善知識高森先生が辞めた人とかかわらないよう

ご教示下さっています。善知識のご指示にしたがえないのですか?」

その行いは善い行いですか?

相手の幸せを念じての行動ですか?

自分の仏縁を守るためなら、他人を傷つけてもかまわないですか?

それは我利我利亡者の心ではないですか?

悪人からの年賀状には、返事も出さなくて当然ですか?

それは19願で教えられる、まことの善(至心で行う善)ですか?

世間の善よりも劣っていませんか?

自分は光に向かう善人で、辞めた人は極悪人ですか?

阿弥陀様は極悪人を救ってくださいます。

光に向かって進んでいる善人様には、阿弥陀様の心は分からないでしょう。

光に向かう力もない煩悩具足の私のところにやってこられて、

「そのまま救う」との仰せです。 南無阿弥陀仏。  (m)

ただ聞いてもらうだけで・・

障害者施設の理事長が、急な会議に出かけるのに車に乗せていってくれるという。

障害者1級のため、いつも助手を連れて車いすで移動している方。

助手の運転と思い込んでいたら、理事長を運転席に移乗させ、助手は事務所に

戻ってしまった。(運転できたんですか・・?)びっくり。

同乗者もなく、言われるまま助手席に座り、その後、頼まれて何度か車と車いすの移乗を介助。

(やっぱり直接介助できるヘルパーもいいな・・)と懐かしく感じた。

会議は理事長の司会でスムーズに進行し、無事終わった。

会場への移動の道中、会社内でここ1ヶ月あるゴタゴタを何となく話してしまった。

関連事業所なので、内情はよくご存知なので安心。

とくにアドバイスもないけれど、じっくり話を聞いてもらい、心はとても軽くなった。

今まで1対1で話したこともなかったけど、私が煮詰まっていたことをわかって、

わざわざ声をかけてくれたんだな、話を聞く時間を作ってくれたんだな・・と感じた。

中途障害者でご自身が大きな障害を抱えながら、大役をこなし、こうして笑顔で

耳を傾けてくれる・・その心があたたかく、ありがたく、とても励みになった。

私も、大変な中がんばられているご利用者さんやご家族の話を、もっとじっくり

聞くようにしたい。

ありがとうございます・・。   (m)

リセット

携帯が壊れたので、こちらから連絡を取らないと縁が持てない人とは、もう

縁が尽きたということだろう・・リセットして、自分と縁を持とうとしてくれる人を

大切にして付き合っていくことにしよう、と思い始めた頃・・。

携帯ショップでは直せないと言われたSDを、主人が根性で3日がかりで

データを復活させてくれた。(技術屋の意地ですね・・!)

親鸞会時代の法友で何度メールしても返事のない人は、これで終りにしようと思って

いたところだったので、ありがたいんだけど、ありがたくないような・・。

その上、またしても高森会長と、かつての法友の登場する夢を見て・・

まだ縁があるのかな・・?私にはやらないといけないことがあるのかな・・?と。

阿弥陀様、私は恩知らずで、楽したい心いっぱいで、これ幸いと言い訳にして

もう教えの間違いに気付くよう働きかけるのはやめようと思っていたのです。

そういうヤツなんです。申し訳ないことです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。(m)

携帯壊れた。。

携帯がここ2週間不調だったが、いきなり壊れてしまった。

この携帯、かれこれ故障は4回目。

なぜかSDカードも壊れていてデータも呼び出せない。

あ~あ、ショック大。

ブルー、ブルー、ブルーな、投げやり気分になってしまった。

心ある親切な方は、私の携帯にメール下さい・・。  (m)

本命チョコ

今年も、バレンタインデーに向けて、娘は3日前から大量のチョコ作り。

アイデアを考えて、材料の買出し、チョコ作り、包装まで、とっても張り切っていた。

その間、冷蔵庫内はチョコだらけ。私は毎日後片付け。(片付けまでやってほしい・・)

とはいえ、年々上達し、かわいい感じのが20人分できた。

今は友チョコがはやりで、あげるのは女の子ばかり。

主人には例年、失敗作の方を渡していたが、今年は成功作品をプレゼント。

「どうせ義理でしょ」と言った主人に、娘は「私のチョコは全部本命だよ。」との返事。

主人は、「全部本命か~。いいね。阿弥陀様みたいだね。」と、にこにこ顔。

そうそう、阿弥陀様にとってはすべての人が本命なんですね!

 南無阿弥陀仏。(m)


Buddha Amitabha Song

パソコンで Buddha Amitabha Song を聞いた。

美しい音楽と共に、阿弥陀仏の絵や像が、次つぎ映し出された。

色んな国の色んな時代の阿弥陀様のお姿は、色も形も様々。

「すべての人を必ず浄土へ迎えとる」との み心のままに、

様々な国で色んな時代に、色んな形で阿弥陀様が働いてくださっているのだと感じた。

世界のあちこちに、阿弥陀様の願いを聞き、よろこび、讃嘆されている方々がある。

こうして時をかけ、どこにいても、ずっとずっと働きかけて下さっていればこそ、

私も今、南無阿弥陀仏を聞かせていただき、念仏称えさせていただける。

「遠く宿縁を慶べ」のお言葉が思い出された。  南無阿弥陀仏。  (m)

会社の外階段を掃いていたら、草むらから「にゃーにゃー」と鳴き声。

猫だ!と思いながら、何となく「ニャーニャー」と真似して口ずさんだ。

その時・・・ 、猫は忘れずにニャーニャーと鳴くのに、

私は念仏を忘れてばかりいる・・と思い知らされて、

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」と、しばし お念仏称えながらの掃き掃除。

忘れてばかりで申し訳なかった。

あの猫の声は阿弥陀様からのご催促だったのだろうか・・。

恩知らずの私に、ありがたいご縁となった。    (m)

ガンダーラ

車のFMラジオから「ガンダーラ」が流れてきた。

小学生の頃はやってて、よく歌ったっけ。

「だれも皆行きたがるが はるかな世界   その国の名はガンダーラ

どこかにあるユートピア どうしたら、行けるのだろう 教えてほしい・・」

ガンダーラどころでない、極楽浄土へ生まれさせて頂ける。

どうしたらもこうしたらもない。南無阿弥陀仏のお働き一つで。

阿弥陀様の ただ「助けたい」のお慈悲一つで連れていって下さるなんて。

何と気楽で、なんとありがたいことなのか・・と、歌を聞いていて感動。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。     (m)

どうせなら

一度、真面目に聞いてみては如何でしょうか。

若し親鸞会の話を聞きに行くのであれば、親鸞聖人が仰った「往生極楽の道」が説かれているのかどうか、注意深く聞いてみてください。

「弥陀の十九願とは”貴方幸せになりたいでしょう、だったら善をしなさい。幸せにしてあげます”というお約束です。」
と説明しているそうですね。
十九願文を読めばそんな願ではないことは明らかです。往生の因果を説かれた願なのですから。

「善をしなければ良い結果来ませんよ。」
「今日の浄土真宗が衰退したのは善を勧めないからだ」
「雑毒の善でも善は善だ」
「月へ行くのに邪魔にはならない」


最近、こんな話ばかりのようですが、これで納得できるのでしょうか。
「善をしなければ信仰は進みませんよ。」というのは撤回でしょうか?

善をするのは当たり前のことです。浄土真宗は第十八願の救いを説かれた教えです。
「往生極楽の道」を聞きに来た人たちに対して「善をしなさい」と力むのであれば、
修善と阿弥陀仏の第十八願の救いがどういう関係があるのかを、話をしなければならないはずです。

根拠に基づいた話がなされているか聞いてみてください。
肝心な部分が明確に話がなされていないことに気付くはずです。
勿論、聞かなくても判ればそのほうがずっといいです。
(P)

月へ行ける切符

地球上のあちこちしか行けない切符を使って、月へ行こうとしているから

雑行と嫌われ、捨てよと教えられています。

もともと地球上のあちこちに行こうとして集めて使っているのなら、

『阿弥陀仏のお浄土に生まれたいと願う』のではないから、

19願とは何の関係もないですよね。

月(阿弥陀仏のお浄土)へ往くのに、地球に行く切符を握っていては

月にはいけないから、

月行きの切符(南無阿弥陀仏)でないと、月には行けないから、

地球行きの切符をしっかり握っていては、阿弥陀様の差し向けられた

月行きの切符が受け取れないから、

「その地球行きの切符をふり捨てて、月行きの切符を受け取りなさいよ。」と

善知識ならば、教えてくださるのです。

雑行をしながら報土往生はできませんよね。 

高森会長の話をしっかり聞けば、おかしさに気付くはずです。

しっかり聞いて、早く目を覚ましてください。 南無阿弥陀仏  (m)

福祉大学編入

福祉大学通信教育学部から、合格通知が届いた。

仕事をしていて、福祉の幅広い知識の習得の必要性を痛感していた。

研修にはなるべく参加し、自主的に本を買って読んだりもしているが、まだまだと感じていた。

権利擁護、障害者福祉、民間サービス、精神障害、ターミナルケア、病気や薬の知識etc.

既卒大学の履修単位と実務経験なども単位に認定され、4年次編入が認められた。

学びたい科目と、必須科目とを単位取得して、無事福祉大学を卒業すれば、国家資格の

受験資格も得られる。

受験資格単位を揃えるのに、卒業単位をかなり超える単位取得が必要な為、最低2年はかかる。

(仕事のかたわら、やっていけるのだろうか・・)と不安がよぎる。

それでも、確実な知識を得て、自信を持って、お客様に介護サービスを提供出来るようになりたい。

学びながら、日々の実務に還元していけたらと思う。

時間はかかるが、積み上げていくしかない。がんばろう!がんばりたい。

南無阿弥陀仏と共に、この人生が燃えつきるまで、少しでも前向きに生きたい。

いつでもどこでもどこまででも南無阿弥陀仏。      南無阿弥陀仏。 (m)






1ヶ月後

2年半ほど前のアニメ解説。

思いがけず、「ぜひそこがお聞きしたい!」という質問が出た。

聞き逃すまいと、集中して聞いていたが、なかなか核心までたどり着かない。

仏とは・・一切教とは・・仏教は因果の道理etc.

当時「初めての人にもわかるように」と、毎回同じ話ばかり、半日~午後前半まで続いていた。

今回はとうとう最後まで、阿弥陀仏のお名前さえ出ずに終了間際 ・・・。

突然 高森先生が「まだ話は途中です。続きは次回必ず話します。」と宣言し終了となった。

質問内容にはまだ全然何も答えていないし、阿弥陀仏のお名前さえでていないのだから、

もっともな発言と感じた。

「ご質問の続きは、次回○月○日のアニメ解説となります。」との講師の案内。

「一ヶ月後・・そんな先・・、何かあったら聞けなくなってしまう・・。」

気持ちは相当あせりながらも、1ヶ月待つしかないと思い直した。必ず参詣しよう!と。

そして、待ちに待ったアニメ解説。

何事もなかったかのように、次の新しい質問が読み上げられ、それについての話。

1ヶ月前のあの質問はどうなったの?次回答えると言われてましたよね?

担当講師に聞くと「あの時はそう言われたかも知れないけれど、その後先生が私たちにとって

必要ないと判断されたから、取り上げられないのです。質問そのものよりも

質問を縁として私たちに必要なことを選んで教えてくださっているのです。」との返事。

親鸞聖人の教えで 丸1日話して、阿弥陀仏のお名前さえ出てこなかったのに?

1ヶ月間待ちに待ったのに、これがその答えですか???

約束は反故にされ、疑問は置きざりに、「必要ないから答えない。」でおわり。

悶々とした、深い闇の中をさまよっているような気持ちでした。

自分は信心決定まで求めていけるのだろうか・・。不安ながらも、他にすべもなく

「従っていくしかない。」と我が身に言い聞かせていたあの頃・・。

安心問答を見つける半年前の出来事。     南無阿弥陀仏  (m)

顕真1月号

善を励むほど..

顕真 2011年1月号の中に、以下の記事が枠で囲ってありました。
------------------
十九願建立の弥陀の目的

善を励むほど、悪性が見えて来る。
励む善そのものは
「雑毒の善」でもなければ
「虚仮の行」でもないのだが、
励む我々の心が邪見であり、
虚仮であり、不実だから、
「真実の行」とならないのである。
励んでそれを分からせ、
他力の名号に向かわせようと、
弥陀が仕組まれたのが
十九願建立の願意である。
--------------------

これを読んでどう思われるでしょうか。
親鸞会の会員の皆さんは、なる程と納得しているのでしょうか。

会員時代、私はどうしても腑に落ちなかった。会に不信感を持っていない当時でも疑問でした。

その1.
仏教に限らず、ボランティアをしている人や、世間一般の人でも其のことは体験している。

その2.
悪性が見えると言っているが、善をすればするほど深く知らされるということはなく、その時々によって見え方が変わるだけにしか思えない。

その3.
善に励んだことによって何かが判るとするならば、自力の修善が役に立つことになり、浄土真宗の教えに合わない。

その4.
本当にそうであるならば、聖道門の如く修行をする必要があるのではないか。

その5.
そもそも、善に励まなくても判っていることではないのか。

その6.
救いに時間がかかる。

今では、この記事の内容の教義的誤りが判るのですが、少なくとも阿弥陀仏の本願の救いを知ったならば、疑問を持ってもおかしくない内容なのです。
救われたいと思っていれば出てくる疑問だと思うのですが、どうなんでしょうね。
そんなのカンケー無いのかな?(P)


プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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