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フィットネス

今までにない体重増加と、妊婦さんかと思えるお腹に

「やばいな・・」と思っていた昨年の12月、

同僚に誘われ、4人で会社から2分のフィットネスクラブに通い始めた。

1ヶ月無料のキャンペーン。1回30分なので、仕事の昼休みに行ける。

12台のマシーンとステップ台が交互に置かれ、1箇所30秒でどんどん移動。

2週で終了し、ストレッチをして終了。

初めは、筋トレのマシンを少し動かすだけで、手も足もガクガク。

しかも3回目で飽きてしまった。

それでも、友人が「一緒に行こう!」と、毎回声かけしてくれるのと、

やり始めたら途中で投げ出すことができない自分の性格が功を奏し、

週4回のペースで、かれこれ六ヶ月。

体重は変わらないけれど、以前あっためまいがしなくなった。

手足のガクガクも無くなり、筋力がついたと実感できる。

猫背も直ってきた(気がする。)

血液検査の中性脂肪の値も改善。

スタイルが良くなったと、コーチや友人が言ってくれる。

ん~。確かにポッコリ出ていたお腹は、3ヶ月くらいのお腹になった様な・・?

旦那に聞くと、「まあ、マタニティ体型ではなくなったんじゃない。」と適当な返事。

行くのが面倒だな~と思う気持ちはまだあるけれど、習慣化までもう少し。

声を掛けあって続けて行こう!

リズミカルな音楽に合わせてステップを踏んでいると、

テンポよく南無阿弥陀仏が心のなかで繰り返す。

念仏称えながら、運動もできるなんて幸せだな~。(声に出せないのが残念) (m)




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視点

自分の気持ちに目を向けると、自信のなさや恥ずかしさや苦手意識で

できなくなってしまう、ストップしてしまうことがある。

でも、お客さんのことだけに目を向けて、今の自分の知識と経験と感覚を総動員して

これが必要だと思うことを取りこぼしなくやっていこうと思う。

その判断が妥当か、相手に無理を強いていないか気になるときは、

自分への評価を恐れる気持ちを乗り越えて、自分が信頼できる人に相談しよう。

お客さんにも遠慮無く本音で言ってくれるよう伝え、言動をよくみて、その人に

喜んでもらえる選択になるようにしたい。

視点をお客さん一つにしぼると、色んな気持ちを乗り越え、今ベストと思えることを

とにかくやって行くだけになる。

視点を外さないよう気をつけたい。      (m)

恩返し

『飛雲』さんのブログを読んでいて思った。

この人は、けんか菩薩だと。

親鸞会教義の間違いを、いろんな角度から、根拠をあげ、丁寧に明らかにしてくれる。

その情熱は変わらない。

激しい口調は、喧嘩を売っているようだけれど、いや、どう読んでも喧嘩を売っている・・

のだけれど、何とか間違いに気付いて他力廻向の法を聞いてもらいたいという

愛情に溢れている、と感じる。

文面から情熱と愛情が伝わってくる感じがする。

けちょんけちょんに書かれているけれど、これは、高森会長への最大の恩返しだと思う。

自分の間違いを教えてくれる人はありがたい。

親切心がなければできないし、続かない。

根気のない我が身を反省しつつ、出来ることを少しずつでもやっていきたいと思った。 (m)

金剛心

「信心」と呼べるものは何もないけれど、

阿弥陀様のお心は、はっきり知らせていただきました。

ただ、助けたい。それだけ。

「お前を必ず浄土へ連れて行く」とのお心で、固まっておられる。

かたいかたい、変わらない心。不退転の決意。

その心を知らされたならば、任せないわけにはいかないのです。

「お任せします。どうぞお連れ下さい。」

金剛心は阿弥陀様のお心。    南無阿弥陀仏   (m)

お念仏その2

夜横になると、頭の中をずっとお念仏が流れてくる。

それは、今も、「わからん、わからん」といっていた頃も何もかわらないのに・・。

南無阿弥陀仏を聞きながら、つかもう、つかもうとしていた。

はっきりした「確信」がなくてはならないと思っていた。

「確たるもの」を自分が得なければならない・・!と力んでいた。

「必ず助けるよ。われにまかせよ。」と、お呼びづめだったのに、

それを尻目に、それを聞かないで、自分の中に救いの確証をつかもうとしていた。

(申し訳なかったな・・。)と感じつつ、流れる南無阿弥陀仏に身を任せ、

このほんわか包まれているような幸せを何と表現したらいいいのでしょう・・!

変わらない南無阿弥陀仏。証拠は南無阿弥陀仏。   なむあみだぶつ   (m)

お念仏

朝だ。おきなくちゃ・・。    と思っていたら、

あっという間に夜になって、(もう12時だ!明日があるからもう寝なくちゃ・・。)

おやすみのかわりに、眼を閉じてしばしお念仏。

(ああ、今日も御文章を読み返そうと思っていたのに、できずに終わってしまった。)

洗濯物を干しながら、南無阿弥陀仏。

階段を歩きながら、南無阿弥陀仏。

運転しながら、南無阿弥陀仏。

なかなか教学(といえるほど難しい本ではないのかも知れませんが・・)も

できないけれど、

お念仏が出てくださって、それで御恩報謝になるとはありがたい。

ついて離れぬ、なむあみだぶつ。 

お慈悲に日々心なぐさめられる。 (m)



大事

「多生の目的とわかってくると、求道が安定します」と言われた方があった。

「19願の道を進んでいけば、いつか後生に驚きがたってど真剣に聴聞でき、

必ず信心決定できるはずだ。そこまで求めぬくぞ」と、気持ちが安定するという。

聴聞していて、時にその言葉がリアルに迫ってきて心境が大きく変化することは、

だれにでもあることだ。ただし、それが続かないのだ。自力の信心は続かないのだ。

自分では進んでいると思っていても、同じところをぐるぐる回っているだけなのだ。

「聖人の御前に参らん人の中に於て、信心を獲得せしめたる人もあるべし、また

不信心の輩もあるべし。以ての外の大事なり」(御文章五城目十一通より)

今信心獲得していないことが大変なことなのだ。

仏法には明日という日はない。確実な未来など存在しない。

また、いつも今しかない。今、今、今といまの連続が人生。

間違い無く存在していたと思っている過去は既に存在しない記憶上のもの。

間違いなく来ると思っている未来は、空想している未来。

今は無理と思っているから、先延ばしにして未来にできるだろうと信じて安心

しようとしているのだ。

御文章にある通り、今、信心獲得していないことが大変なことなのだ!

「求道が安定しています」ということは、「今救う」という本願を、「平生業成」を、

「今は無理だから、今ではない先にいつかきっと」といって、聞かずにいる姿です。

自分で作った自分の救済計画ではなく、阿弥陀仏の本願をきいてほしいな・・。

阿弥陀仏は、いま、ここで、私を救うとの仰せです。 南無阿弥陀仏  (m)


看板

「新鮮卵」 「とれたて」 「産みたて卵」などの宣伝。

卵を選ぶとき、少しでも消費期限の先の物をえらぶ。

ある程度殻をみれば、古いものは避けられる。

それでも、実際割ってみると、新鮮でないものが多い。

子供の頃 自宅で鶏を飼っていたので、毎朝鶏が生んだばかりの卵を食べていた。

産みたては割ってみると色も形もぜんぜん違う。

上の方の殻をとって、かき混ぜて、生で飲んだりもしていた。

コクがあってとてもおいしい。

それと同じで、どれだけ「本当の親鸞聖人の教えを明らかにする団体」と

宣伝していても、本当の浄土真宗を知らされれば、それが本当でないことが分かる。

違いが分かってしまうのだ。

古卵を売る店と新鮮な卵を売る店の違いが分かると、買う店が決まるように、

本当の浄土真宗が知らされれば、間違って教えるところではとても聞けない。

泥水とわかったら、もう飲めないのだ。

親鸞聖人のお名前を使うのをやめてもらいたい。   (m)


間違いない?

「高森先生に間違いない。」

「500年に一度の大善知識だ。」

あなたにが、この人は間違いないと判断した根拠は何ですか?

あなたに、判断する力があるのですか?

その判断は本当に正しいですか?

何回も聞かされているうちに、他の情報をシャットアウトされているうちに、

そう強く信じ込んだのではありませんか?

雑縁で崩れる信心なら、早く崩してしまって、他力に帰してください。  (m)

節電

中電の浜岡原発の停止が決まった。

会社でも早速節電しようと、暑い今日も冷房は使わず。

上司の指示で、部屋の電気も付けないでの仕事。

同僚のご主人は、トヨタの一次下請け会社の部長だが、トヨタから

平日を休みにして土日操業はどうかとの打診があったという。

トヨタは在庫を持たないかんばん方式だから、下請けもリアルタイムでの制作。

休日はトヨタに右ならえで合わせるしかないという。

子どものいる家は、親が土日が仕事だと、遊びに連れていってやれない。

それでも、消費電力の平均化を計るには大切なアイディアだ。

皆で協力して節電していくことが、安全な生活を支えることになるのだ。

節電、リサイクルなど自分にできることを意識して実行していこう!と

あらためて思った。     (m)

無理

まじめに親鸞会で求道されてれいる方が、「後生ほどの一大事、多生の目的だから

何生かかっても求めぬくぞ!たとえ今生の臨終に間に合わなくても、精一杯

進もう!」と思われる気持ちはよくわかるのです。

でもそこには、阿弥陀仏の本願が抜けているのです。

阿弥陀様は、遥か遠くのゴールで待っておられる仏様ではありません。

遠くからマラソンのコーチのように、「はやくここまで来い。がんばれ!」と応援

されているのでもないのです。

南無阿弥陀仏となられて、歩く力のない私のところにやって来られて「そのまま

連れて行く」との仰せです。

聖道門は漸教と言われ、、多生の業成ですが、18願の救いは、平生業成であり

「今」です。

自分の努力をどんなに重ねても、信心決定はできません。

どんなに根性のある会員でも、親鸞聖人ほどの根性はないでしょう。

41段の悟りを開かれた、龍樹菩薩ほどの修行はできないです。

そんな心身ともに剛健な方々が、自力では助からないと、他力に帰して

おられるのです。

「雑行をすてて」です。

「聴聞しなさい」とは「今、ここで、捨自帰地しなさい。」との教えであって、

「聴聞を重ねていけば、いつか信心決定できますよ。」という話では

ないのです。

蓮如上人も「われらが今度の一大事の後生」と書かれています。

今なのです。来世でも多生求めた先のとこでもないのです。

それは阿弥陀仏が南無阿弥陀仏を回向されて、今救って下さるから

なのです。(m)



前向きに倒れる?

S会時代、ある上層部の講師が言われた。

「多生の目的だから、たとえ倒れても、1歩でも前向きに倒れたい。それが本望です。」と。

その時私は、とんでもない発言だと思いました。

今救われなくてもいい、と言われているのと同じだからです。

私は、今生の死の不安が恐ろしくて、何とか解決したいという思いひとつで

親鸞会で求めていたので、今生に信心決定できなければ困ると思っていました。

「たとえ間に合わなくても、今生で無理なら来世で求道の続きを・・」などとは

考えたこともありませんでした。

あの講師は既に心の中ではあきらめていたのだと思います。

平生業成と聞きながら、臨終業成さえもあきらめていたのだと思います。 (m)

正信偈

友人のお母さんが亡くなり、予定があって葬儀に参列できなかったので、お線香を

あげに伺った。

実家は浄土真宗と聞いたので、勤行をさせてもらおうと思い立ち、正信偈を持参。

行ってみたら浄土宗で、浄土宗の勤行集(?)らしきものが置いてあった。

友人が「いいよ。お経ぜひ読んで。」というので、(お経じゃないんだけど・・)

と思いつつ、仏壇の阿弥陀様に向かって正信偈の勤行をした。(お東の節)

一緒に訪問した別の友人が「そんな感じの聞いたことがある。旦那の実家が京都で

浄土真宗なの。たしか大谷って言ってた。浄土真宗は位牌がないんだよね~。」

と言ったのでびっくり。

「こっちには浄土真宗は全然ないのに縁があるだかね~。」との話になった。

帰り際、「またいつか般若心経だか教えてね。」と友人が言った。

「般若心経じゃなくて正信偈だよ。」といったが、違いはわかっていない。

結構勇気がいったんです。友人宅でのいきなりの勤行。

つっこんだ話はなにもできなかったのだけれど、いつか阿弥陀様の本願を

聞くご縁につながってくれればいいな・・と。  阿弥陀様。   (m)

ゴールデンウイーク

3日は毎年恒例の実家の田んぼの手伝い。

とはいえ高速道路は大渋滞で、いつもなら3時間の道が7時間半かかった。

総勢8人での作業は、天候にも恵まれはかどった。

日焼けしにくい曇り空。風もない、少し涼しいくらいの気温。

夜一泊し、そのまま足を伸ばして『法然展』を見に、京都国立博物館に出かけた。

絵巻物、仏像、貴重な書簡の原本。自画像。絵画。お手紙。

往生要集、選択本願念仏集はもちろん、膨大な資料に圧倒された。

臨時バスも出て、たくさんの人が熱心に見ておられた。

親鸞聖人は大学者で、波乱万丈の一生を送られたすごい方と思ってきたが、

その師である法然上人も桁違いにすごい方だと感じた。

聖道門仏教しかなかったまっただ中に、浄土仏教を打ち立てられ、

天皇から、武士、農民、漁民、遊女、他宗の僧侶に到るまで、あらゆる人を勧化

され、いろいろな立場の人が法然上人を慕ってお弟子となった。

阿弥陀仏の本願は広まり、名もなき民衆がたくさん念仏の人となり、名前を連ねて

書き残されていた。

法然上人を非難した人々の朝廷への訴え文や反論集も展示されていた。

法然上人の影響を受けた当時の人々の息遣いが伝わってくるようだった。

南無阿弥陀仏に生かされ、阿弥陀仏の本願ひとつに生きられた法然上人。

法然上人が現れてくださったなればこそ、今この時代に、当時の人々と同じく

本願を聞き、念仏を称えて生きられる幸せの身になれたのだった。

法然上人のご恩を強く知らされるご縁となった。

そして、感動さめやらぬ今日から、早々と仕事が始まった。

生きることに追われる毎日だけれど、本願を聞かせて頂き、本願に生かされる幸せ、

ありがたさ。

時々念仏しながら、いっぱい愚痴もこぼしながらも、阿弥陀仏のお心のままに、

浄土への1本道を進ませて頂ける幸せ。

とても、充実したゴールデンウイークだった。 南無阿弥陀仏   (m)

PS、本当は親鸞展も行きたかったけれど、時間が足りずちと残念。でも大満足でした。

急逝

友人のお母さんが昨日急逝された。

2度の大きな手術を乗り越え、やせてしまったものの無事退院され、実家に泊まり

こんで 友人が一人で介護していた。

前日夜に電話で話した時も「2時間かかったけどミキサー食を残さず食べれたよ」

と喜んでいた。

「夜ねれなくなっちゃうから、まだ寝たらだめだよ~」という友人の声かけに、

後方で「あー、あー」と返事されていた。

朝気づいたら下顎呼吸になっており、救急車を呼んだけれどそのまま亡くなられた

とのこと。

前日までいつもと変わらない感じでデイサービスにも通っておられた。

無常とは聞いていても、自分も他人もまだまだ死なないだろうと思っている。

今日の明日の・・ということはないと思っている。

今このときが最後かもしれない。そういう自覚を持って接していかなくては・・

後悔しないようにしたい・・、あらためてそう思った。

お疲れ様でした。     (m)


欲張り

4月から通信教育が始まった。

朝と夜に分けて、1日2時間は勉強したい!と意気込んでいたけれど、

計画通りにできない日の方が多い。

朝勉強してから仕事に出かけようと思っていたのに、家のことをあれこれやっていると

どんどん時間が食い込んで、もう出かけないといけない時間になってしまう。

その分夜勉強しようとするのだけれど、子供が隣の部屋でテレビを見ていると、

ついつい自分も見てしまい、時間がだーっと過ぎていく。

電話がかかってきて、つい話が長くなる。

残業が多かった日は疲れて頭に入らない。

また、勉強するとエネルギーを使うのか、睡眠時間は変わらないのに疲労感が残る。

今日こそは通信教育に打ち込もうと思っていたけれど、急に子供の用事が入り

午後3時ころまでかかり、予定が大きく崩れ、自分も疲れてしまってその後はダラダラ。

結局体力もないのに、あれもやりたい、これもやりたい、こうなりたい、と

自分は欲張りなんだと思う。

結婚して家も建て、子供にも恵まれ、双方とも両親は健在。仕事もふたつかけもちで、

他人からは よくうらやましがられるけれど、自分はいつも時間に追われているし、

満足なんてしていない。

真面目に生きているのだけれど、結局欲に引きづられているのだと感じる。

それでも、いつも目指しているものがあって、あきらめるのは嫌なんだ。

それでいて、大変だ、疲れた、休みたいとぼやいている。

愚かな自分をいつも知らされながら、そんな生き方を変えることはできない。

南無阿弥陀仏を称えながら、今日も凡夫の1日が終わる。  (m)




プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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