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新入生勧誘2

新入生勧誘2

新入生勧誘を通して手段を選ばない勧誘の実態を知っていただきたいと思います。
親鸞会の新入生勧誘活動「新勧」とは を見るとほぼ同じなので、地域や年代は違っていても基本はそれ程変わっていないようです。

一斉勧誘の実態
入学前の学生が合格発表等で大学に来る機会を狙って勧誘し、S会サークルへの入部という形で行う。大学で定められた本来の入部期間は無視です。
全国規模の応援動員、講師部、青年部(支部)で100人以上のこともある。
学内の教室(多くは無断使用です)を複数使用して、声をかけた新入生をその部屋に誘って入部させる。
その部屋の黒板には各種の暗号が書かれます。外に勧誘人数が足りないから回転を早めよとか、現在の入部者数の情報とか・・。
各自が部屋に連れてくる人数、入部者の人数の目標を立て紙に書いて報告する。
近年では勧誘に対して大学当局の警戒も厳しくなり、それをかいくぐる形で行われていた。
退学者の中で当時の講師学院に行く者があり、大学側もそれを把握して問題視していたと思われる。
目立ちすぎないような人数調整、見張り役はトランシーバーを持って連絡を取り合う。
声をかける役、入部の説得役、引継ぎ約等に役割を分担する。

日程の把握(箇条書き)

合格者に手渡される書類をまるごと入手する。合格者の列にまぎれて交付場所に並んで何食わぬ顔で書類を貰う。
その書類から今後新入生が大学に来る日程を把握し、電話1本で数日後には全国から応援が集まる。
新入生一人一人の授業日程を把握し、1日の行動を半ば管理する。


情報の遮断、S会関係者以外との接触の遮断
この手法がS会の本質を表していると思います。所謂マインドコントロールの始まりです。
マインドコントロールという言葉は知らなくても、実質的に同じことをしていました。そうすることが勧誘成果を上げることに有効だと知っていたのです。
学内では当然S会サークルの学内での評判は悪い為、S会サークルを批判するチラシも存在します。
まず配られているチラシを片っ端から貰ってきて、批判するチラシが無いか別室でチェックします。チェック漏れがあると後で担当講師から叱られます。
その後入部した新入生が部屋で話をしている間に、持っているチラシの中から都合の悪い情報を含むチラシを抜いてしまいます。
替わりに学内のサークルの一つとしてS会サークルを紹介した冊子を勝手につくって、それを入部者の持っているチラシの中にに紛れこませます。入部者にしか配りませんので殆ど問題になりません。入部者はこれを見て普通のサークルなんだと少し安心します。

並行して都合の悪いチラシの発信源を突き止め、配っている人にクレームをつけてやめさせることまでしていました。

入部者への対応(箇条書き)
入部した新入生が別のサークルに入らないように頻繁に部会を開いたり、訪ねていったりして接触をとる。昼休みにも部会をする事もあった。
入部した新入生同士が接触しないように気を配る。外部のみならず、内部でもお互いの情報交換を遮断する。
その為何かおかしいと思っても、新入生同士で話をする機会が無いため疑念が膨らまない。
但し近年はネットワークが急速に普及し、情報の遮断が上手くいっているかどうか不明。
人生の目的という言葉を多用して、自分達だけが崇高な理念をもっているという意識を植え付ける。
最初は仏教の集まりだいうことは明らかにしない。
これが相手のためだという。方便だから良いことをしているのだとお互いを納得させる。
勧誘側になった上級生はこの段階で共犯になる。

学生主催の入学式はサークル紹介等があるので入部者が出席しないように仕向けます。(最近は不明)
つまり入部者が他のサークルに関心を持たないようにするのです。学生主催の入学式は大学主催の入学式に引き続いて行われます。
入学式に最初から平然と出席して、学生主催の入学式が始まると皆が席を立つように仕向けます。
学生主催の入学式が始まるとマイクジャックを引き抜き、同時に前列に紛れ込んでいた部員が席を立ち皆が帰る流れをつくる。
大真面目でそんなことをしていたのです。そんな先輩たちに気付いて愛想をつかした新入生もいました。当然なことです。

続く・・(P)

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新入生勧誘1

S会の活動実態について

新入生勧誘1

新入生勧誘については「真偽検証」でも扱われていました。他にも実態を紹介したサイトが有ります。私が関係していたのは相当昔ですが、長い間深く関与してきました。いわば加害者の立場ですので書くことには躊躇がありましたが、勧誘側からの実態を書いてみました。これを検証し実態を明らかにすることは、今後私達が過ちを繰り返さない為に必要なことかも知れないと考えました。自分が何故あんな団体に引きこまれたのか反省することは重要です。しかし、勧誘側が巧妙な罠を仕掛けていたという事を知らなければなりません。その手口を解明することもS会で受けた心の痛手を癒す助けになるのではないでしょうか。

 S会が一時期急速に勢力を拡大できたのは学生の勧誘成果が上がっていたからだと思われます。S会の人材供給の中心は学生部門です。現に講師部員は殆ど学生部(現学友部)出身では無いでしょうか。試行錯誤の結果、学生の勧誘手法を確立した中心がH講師であり、彼が率いたのが某地区の学生部だったのです。彼らは効果的に新入生をS会に引き込むシステムを構築していました。勿論地域の特性によってやり方に違いはありますが、やがてその手法は各地に波及します。というより成功した手法を共有し情報交換をしていました。福井で行われた幹部の合宿でその手法を持ち寄り、コンテストのようなことが行われたこともあります。賞金まで出ました。

学生部門の活動(S会用語)の中心は新入生の勧誘(新勧)です。
学生部門のみならず、会の組織の総力を挙げて実施する活動といえます。従って単なるサークルの勧誘とは全く違います。緻密に計画され、大量の資金・人材を投入して大規模に行われるものです。講師部、場合によってはOB(昔の青年部、最近では支部幹部)まで応援に行きます。相手は高校卒業したばかりの実質高校生です。そのため素直で勧誘がしやすいのです。このことを「世間に染まっていない」とか言っていました。
  
準備を箇条書きにします。
  3月期の勧誘のために準備は半年ほど前から始まる。
  各大学の近くに多額の費用をかけて部室を借りる。S会名義です。
  一斉勧誘の計画・準備、サークル名の決定
  声をかける練習(実際に勧誘役と相手役に分かれて練習する)
  質問に対する答え方の練習(想定問答集による練習)  
  部室の押入れには驚くほど膨大な資料が蓄積されています。
  話のネタ本の作成
  部室の作り替え(仏壇を隠す等)  
  学内で管理が甘く勧誘に使用できそうな教室を調べておく
  できれば勉強等の理由で教室使用許可を取る。
  当日新入生を連れ込んでいることが発覚して大問題になったこともありました。
  学生食堂に「卒業パーティーをする」とか言って理由をつけて貸切の予約をする。
  部会の準備:原稿を書いて暗記して練習する。
  テープに録音して提出して学生部長が聞いて資格認定をする。
  その認定がないと部会はできない。
   
続く--
(P)

ごまかし

『夢幻界裡の覚醒』のブログを読んでいて、ごまかしがあると思った。
 
若不生者の誓いゆへ、の和讃についての話。
---------------------------------------------------
   「いやいや、命がけで必ず生まれさせるというのは、
 
    ”信楽の人を必ず浄土に生まれさせる”ということであって

    ”信楽を発起させる”ことに命をかけられたのではない」

   などと言うのは、弥陀の願力も信楽も分かっていない人である。
----------------------------------------------------
 
高森会長は、「若し生まれずば」について、本部会館のご法話で何回も

「若し、信楽の身に生まれさせることができなければ」と説明し、

「18願には死後の往生は誓われていない」 と、断言してきたのだ。

それがおかしいと、今までさんざん あちこちで指摘されて来たのに、

 「”信楽を発起させる”ことに命をかけられたのではない」と言っているかのように

書いている。   得意の論点すり替えだ。

 十方衆生を極楽浄土に生まれさせようと 建てられた願だから、 

(往生一定の身に定まる)信楽の身にさせるのに、命をかけられているのは当然のことだ。

指摘されている内容を、変えてしまっている。

親鸞会で言う解釈ならば、古典の文法上「信楽まことにときいた

になるはずだが、和讃では「ときいた」とある。

「若不生者の誓いゆへ」の句は「信楽まことにときいたり」ではなくて

「往生必ず定まりぬ」に係るんですよ、という話。中学生の古典の知識で事足りる。

それとも、親鸞聖人ほどの大学者が、古典の文法を間違えて和讃を書かれたとでも

いうつもりだろうか?失礼にもほどがある。

なぜ会長の言った言葉通りに、堂々と書けないのか?

会長の言った言葉そのままではまずいとの自覚があるからでしょ?  (m)

そよ風にふかれて・・

2日間連続のスクーリングに、初めて参加した。

70分授業を15コマのスケジュール。体力的にもつか?と心配していたが

疲れはあったものの、とても楽しい2日間だった。

近郊の6県からの参加者は600人を超えたと聞いた。

ほとんどが社会人学生なので、仕事の現場での内容と直結している人も多く、

参加者はやる気満々で、熱気にあふれていた。

先生方も、現場でのプロでもあり、後輩を育てる教育者でもあり、情熱あふれる授業。

最後の1コマのテストまで、本当に実り多く充実したご縁となった。新たな出会いもあった。

どこにも遊びにいく暇はなかったけれど、後生は弥陀に任せて大安心、

今生は やりたい仕事に打ち込んで邁進できるしあわせ。

駅までの道のりを、吹く風の心地よさと、揺れる木々の緑の美しさに心打たれつつ

口から出る「南無阿彌陀仏」のリズムに合わせて1歩1歩。

スクーリング中は必死で忘れていたけれど、南無阿彌陀仏と共に生きる幸せ。

後生は阿弥陀仏にまかせきって、今この人生を満喫して生きていける幸せ。

ありがたい。  南無阿彌陀仏 南無阿彌陀仏。   (m)


人生の搾取

M野講師のブログやN田講師のブログを読んでいると、文章から滲み出る

病的な雰囲気を感じる。

アニメを製作し、アニメ解説でイキイキと解説されていた頃。

やさしさにあふれていた頃。

情熱あふれるK田講師。知的で冷静な本D講師。

素晴らしい人材をたくさんゲットしては、マインドコントロールし、嘘を付かせ、

教義の矛盾を感じそうになると、「お前に判断する力はないのだ。

批判は善知識の頭の上に立つ行為だ。善知識と阿弥陀仏は一直線上にあるのだ。

善知識に無条件服従できた時が信心決定できるときだ。」といって

おさえつけ、支配し、骨抜きにしていく。

正常な思考ができなくなってくる。

搾取されている自覚もないまま、依存させられ、親鸞会のロボットにされていく。

一人ひとり、すばらしい個性を持ち、才能にあふれ、「阿弥陀仏に救われたい」と

親鸞会とご縁を持たれた方々なのに・・・と、かわいそうでしかたがない。

こんなにたくさんの仏縁深い方々を、すばらしい人材を、身も心も搾取して

ボロボロにしていく。

M野講師の、アニメ解説の時のさわやかな笑顔と、キレの良い説明を思い出すと、

涙が出てくる。

今は親鸞会教義の誤りを知りつつ、擁護させられている。

おかしくならなければ、心身が持たないよね・・・。 (m)

月と太陽

日が暮れた暗い水色の空に

まん丸い月が煌々と照っている。

はっきりとした満月。

太陽が月を照らしているから、はっきりと見えるのだ。

煩悩の雲に覆われた私の心なのに

南無阿弥陀仏が満ち満ちている不思議。

南無阿弥陀仏のお働きが、私に知らせてくれるのだ。

バスの窓越しの空を眺めていて

ふとそんな事を感じた。

ありがたい南無阿弥陀仏。(m)

お念仏のなぐさめ

運転中、対向車両のじゃまにならないようにと、道路の目いっぱい左側に

寄せて走っていたところ、「ぼこっ!」と大きな音。 何の音!?

気になって車を止め、左後方をフェンダーミラーで確認すると 何か

ミラーいっぱい、機械の部品のようなものが映っている。

バイク?何?と左後方を目で確認しても何もない。

車を降りてみると道路に 何か黒い丸い板のようなものが落ちている。

近づいてみたら、我が車のフェンダーミラーだった。

ミラー部分が電柱にぶつかって外れ、中の部品がむき出しになっていたのだ。

ショックを受けつつも、すぐ車屋さんに連絡して部品を取り寄せてもらった。

慌てていたから、幅寄せするとき、電柱を見落としたんだな・・。

反省、反省。 ぼーっと運転していて、大事故にならなくてよかった。

気落ちしながら、何となくラジオから流れる浪曲をきいていたら、いきなり

「南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏」とのセリフが流れてきてびっくり。

阿弥陀様に慰めてもらったような~。  私も南無阿彌陀仏と称えた。

安全運転に心がけます!標識にも十分気をつけます!と

決意を新たにした。  (m)

セクハラ講師の栄転?

学生時代。担当講師が色んな女子学生にセクハラ行為をしていた。

夜、一人暮らしの女性の家に「仏教の話をしに来た」といってやってきて、

その人はまんじりともせず、朝まで正座で向い合って話をしたが、

変な雰囲気で、凄く嫌だったと言っていた。

別の人は映画に誘われ、いきなり肩を組まれた上、体を触られた。

また、一緒にある会員の家にお見舞いに行ったとき、こたつの中で

足を触られて嫌だったとも聞いた。

また別の人は、「専任講師と付き合わないか?」としつこく何回も誘われた。

たまたまその講師の話が出たとき「あなたも!あなたも!」となり、

部長に相談して、さらに上司の講師に報告が行った。

まもなくその担当講師は、講師学院の教授として異動となった。

異動のほんとうの理由を知っていたのは、学生では部長を含め5人のみ。

他の人に話すとショックを受けるから、一切口外しないようにと言われた。

「担当講師に不審を抱かせることは他の人の仏縁を遠ざけることになる」からと

、そのことは5人とも一切口にしなかった。

セクハラした講師が、講師学院の教授になるとは・・。

講師学院の先生が、そんな人でいいのだろうか?いや、煩悩具足の人間だから

大した問題ではないということなのか・・?と無理に納得していた。

だいぶたって、講師学院を断念した人から、「学院生も大変だけど、教授も

自由な時間はほとんどなくて、監獄みたいなところだから大変ですよ」と

聞いた。

他県でも似たような事件が何件かあり、「たとえ講師から呼び出されたとしても

夜に一人で男性講師に会うのは断るように」と女子学生には連絡があった。(m)

一味の信心

稲城選恵氏の『蓮如上人のことば』を読んでいるが、随所でピタッピタッときて

同じ南無阿彌陀仏の信心が ありがたい。

南無阿彌陀仏・・と、念仏称えながらの読書となる。

2年以上前、安心問答にたびたび質問していた頃、ブログ作者の山も山さんと、

ときどきコメントを出されていたひろみさんの信心が(表現は異なるものの)

全く同じ感じがしていた。

当時は他力信心について質問できるところを得られた喜びの反面、

もし異安心だったら(騙されたら)大変だ!と思っており、、期待半分疑い半分で、

「一味の異安心」ということがあるのだろうか?などと警戒していた。

また、これだけ一致しているのだから、当然山も山さんとひろみさんは顔見知りで

普段からよく話をしているんだろうと思い込んでいた。

ところが、たまたまひろみさんと縁があり、お話しする機会があった時「山も山さん

とは、遠方で一度も会ったこともなく、顔も知らない」と知り、びっくり!!

でも、今はわかる。一味の信心だったから、内容が同じだったのだと。

同じ南無阿彌陀仏を賜っているから、時代を超え、場所を超え、同じ信心になる。

同じで当然だったのです。

書かれた言葉を読んでいると、私の中の南無阿彌陀仏が呼応するのでしょうか・・。

ありがたくて胸がいっぱいになります。嬉しいご縁です。 南無阿彌陀仏 (m)

自力の念仏

阿弥陀様の差し向けられた念仏を、自分の側に持ちかえて、

しっかりにぎって阿弥陀様に差し出していては

おかしいでしょう。

その念仏は私にくれるために、差し向けられたものなのですから。

自分で差し出せるものがないからと言って、阿弥陀様のものを

とってまで 一生懸命差し出していては、おかしいでしょう。

阿弥陀様は何も要求はされていないのですから。

差し出す必要はないし、差し向けても無意味です。

これは一見阿弥陀様に向いているようで、向いていないのです。

自分の行為にしがみついて、自分の行為を当て力にして

救われようとしているのです。

自分の行為には何の力もないのです。

阿弥陀仏に目を向けてください。

たとえ自分が一声の念仏を称えられなくても、本願力で救われるのです。

南無阿彌陀仏そのものに、私を救う力が収まっているのです。  (m)



蠕動之類

大無量寿経の異訳本のひとつ、『平等覚経』では、大無量寿経の18願の

相手を「諸天人民蠕動之類者」と、訳されているという。

たくさんの毛虫がかたまってうごめいているのを見たことがある。

ぎょっとしたが、自分の姿だと感じた。

今自分がどこにいるのか、どういうものなのか。どうなっていくのか。

自分の姿を知ることもなく、外の世界を知ることもなく、知りたいとも思わず、

知る知恵もなく、ただ生きている。

そんな虫けらなのに、どういうわけか、その住む世界がみにくく苦しい世界だと

気付いてしまった。

その世界から離れたいという願いが起きてきた。

煩悩具足の、無知の姿は何もかわらないのに、住み慣れた六道を離れて、

浄土へ生まれたいという心がおこされたのだ。

そして、虫けらをあたたかく照らし続ける南無阿彌陀仏を知らされてしまった。

なぜ、気付けたのか。なぜ、浄土を願う心がおこされたのか。

南無阿彌陀仏のお慈悲がさんさんとふりそそいで、虫けらに不思議な

菩提心が起き、虫けらのまま抱きかかえてすくい上げてくださったのだ。

ふりそそぐ南無阿彌陀仏を見上げては、あたたかいな~・・と。

虫けらが、そう感じる知恵を頂いたのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  (m)

若手講師部のブログについて3

かきふらいすらぁ様からのコメント、そのとおりと思います。

******(以下、転記)*******

一般ウケしそうなかっこつけた事を書いて、興味持って問い合わせてきた人を
S会に引っ張る」のが目的だからじゃないでしょうか。

阿弥陀仏の本願を聞く気もなく伝える意図もなく、S会への人集めのための広告
としてblogやってるだけからではないでしょうか。

他人の信心はわかりませんが、坊さんや門徒さんがたのblogはどれも、阿弥陀
仏や本願についてはよく触れられてます。

それに対し、S会講師のblogはどれも、南無もなければ阿弥陀仏もありません(;・∀・)
この差はどこから…?

結局、生活の為に書いてるか、仏法尊いという気持ちで自発的に書いてるかの
違いじゃないかなと思います(;^ω^)

*******************

要が抜けて平気なのは、要が心に掛かっていないからだし、「仏教講師」・
「仏教カウンセラー」と称して、「浄土真宗親鸞会布教師」と、堂々と書いたり
言ったりできないのは、隠さねばならない何かを感じているからなのでしょう。

「救われるための宿善になるから、人集め金集めをしなければ!」と思い込ませ
親鸞会会長のために心身とも尽くす人を増やそうという活動ですね。

目の前に人参ぶら下げられて、走る姿が哀れです。きりのない道。 (m)



講師部員のブログについて2

親鸞会の講師部員のブログには阿弥陀仏の本願が出てこない。

K谷講師のブログには 「いつの間にか600回を超えた。・・書き続けるのみ。」と

書かれていたが、阿弥陀仏のお名前の出てきた記事が何回あるのか?

浄土真宗の布教師が、600回以上も布教師として記事を書いて、なぜ阿弥陀仏の

お名前が、ほとんど出てこないのか?不思議だ・・。一体なぜ・・・?

考えていて、はっと気付いた。 信心がないからだ!と。

自らが救われていないから、阿弥陀仏のご恩も分からないし、救われた喜びもない。

だから、かっこいいことを書いていても、肝心要の阿弥陀仏の本願が抜けているのだ。

”持たずして与えられるか” と教えられる通りだったのだ。

ない袖は振られぬ。    南無阿彌陀仏(m)


驚きが立った?

「自分は後生の一大事に驚きが立った」という発言を複数の会員から間接的に聞きました。

おそらく親鸞会でいう”求道”の出発点か、通過地点のことなのでしょう。つまりこうなります。

1.この人のように驚きが立った人と、まだ立っていない人がいる。

2.まだ驚き立っていない人は求道がそこまで進んでいない、あるいは始まっていないからまずこのような境地に至る必要がある。

3.自分は未だ信心獲得はしていないが、まだ驚きが立っていない人よりも求道(信仰)が進んでいる。

自分は信仰が進んでいると自己満足しているのでしょうが、騙されているのです。

浄土真宗に於いて、まず後生の一大事に驚きがたたなければ救われないなどという事はありません。

救いに条件を付けて教える間違った指導者を一刻も早く棄てましょう。

仏智うたがふつみふかし
この心おもひしるならば
くゆるこころをむねとして
仏智の不思議をたのむべし
(誡疑讃)

(P)
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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