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真摯な親鸞学徒

親鸞会(S会)で親鸞聖人750回忌の行事がなされますが、その行事に参加するには条件があるそうです。

ある会員の人から「750回忌は真摯な親鸞学徒でなければ参詣できない」と通知があったと聞きました。

「親鸞会以外のところで聞いたり、親鸞会以外の本を読んだりする人は、真摯な親鸞学徒ではない」というのです。

例えば当ブログの様にS会に対して批判的なことを書いているサイトやブログは誹謗サイト・誹謗ブログと言われているそうで、それを読んだり、S会を”誹謗"する者たちと接触している人は真摯な親鸞学徒ではないので参加できないという事だそうです。

事実、参加するつもりでいたのに、「今までの言動を反省しなければならない」とか「参加できるかどうか検討する」「あなたは参加できない。」と言われた人が有ったと聞きました。

私からすれば、ちょうどいいからこれを機会に辞めればいいと思うのですが、それにしても情けないことですね。

キーワードを抜き出しておかしさを指摘しておきます。

1.真摯
 辞書をひくと”まじめで熱心なこと”とあります。しかしこの会では真面目に正しい教えを追及することは真摯では無く、指導者や団体の指示を信じて、疑問を持たないか、持っても表に出さないことを真摯というようです。

2.親鸞学徒
S会では会員のことを学徒と呼ばせています。
以前にも書きましたが、自分たちだけが親鸞聖人の正しい教えを学んでいるといいたいのでしょう。

つまり、ここにS会の本質があるのです。
「S会(会長)だけが正しい真宗を教えている=他は全て誤りである。」
全ての前提がここにあります。逆に言えばこの大前提無しにS会は存在できません。

例えば、過去の盗作の件を知った人は、当然ながら「この人は本当に唯一の善知識と言えるのか」と疑問が起きます。
このような疑問が生じた人に対する対処が最初に書いた「真摯な親鸞学徒でなければ参加できない」です。 
腐った蜜柑と同じだとでも思っているのでしょうか。切り捨てることしかできないのです。
S会(会長)の教え自体に疑問が生じた人対して「あなたは真摯でない」と言って何の意味があるのでしょうか。
  
3.誹謗
 このブログではS会を批判していますが、根拠無く中傷している訳ではありません。

「誹謗」という言葉は、第十八願の「誹謗正法」のお言葉を想起させる言葉です。「誹謗」という言葉を使うことで、何か大変な罪を作っているような印象を与える効果があります。そんなサイトを見ること自体が罪悪だと思わせたいのでしょう。

しかし、私たちはS会教義、S会の言動を批判しているのであり、仏教(=正法)を謗っているわけではありません。
S会は親鸞聖人の教えを正しく教えていないですよ、間違って教えることは本願への大変な謗法ですよと言っているのです。

外からの批判は無視し、疑問を持った会員を真面目に説得することもできない。
その努力もしない。それどころか聞きに来ようとしている人を拒否する。
これが今のS会の実情です。会員の人はよく知って欲しいものです。

『他力の信をえん人は
 仏恩報ぜんためにとて 
 如来二種の回向を
 十方に等しくひろむべし』

親鸞聖人の教えと反対にどんどん内向きな団体になってきているじゃないですか。(P)
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転職

もっと福祉の基幹的なところで働きたいと思い始めたのが6月。

6月末に上司に相談し、12月末までには今の事業所を退職したいと伝え、

何とか了解を取り付けた。

転職希望の話は数人にはしていたが、通常業務で忙しく、ハローワークを

覗くこともなく時間が過ぎていた7月末、ある事業所の管理者から「〇〇から、誰か

人がいないか声をかけられた。口コミで募集している。話を聞きに行ったら?」と

急に声がかかった。「今すぐ電話できる?」と。

予想外の展開に驚きながらも、上司に話を聞きに行く旨伝え、出かけたところ、

いきなり課長3人相手での面接となった。

(念のため、履歴書を書いておいてよかった・・。)

その場で内定をもらい、2ヶ月先の10月から転職することに決まった。

上司は最初「年末に辞めると約束したではないか」と怒っていたが、

社内規定で2ヶ月前に言えば良いことになっていることもあり、

「そこならあなたも色々学べるところだから。」と、許可してくれた。

内定先からの問い合わせにも「私のところを卒業していくのだ。手離したくないけれ

ど、色々学びたいと前々から言っているので、応援の気持ちで送り出します。」

と、プッシュしてくれた。

紹介してくれた管理者の信頼と、上司のプッシュに恵まれ、実際以上の期待を持って

採用して頂けた。

お世話になった方々のご恩を忘れずに、努力したい!と決意を新たにした。

今はまだ引継ぎの真っ最中ででバタバタだけれど、お客様に迷惑にならないよう

もれなく引き継げるようにしたい。

因縁和合して、また大きく人生が変わる予感。

先を知る知恵などないから、流れに任せて、不安でも何でも、がんばって

取り組みたい。(m)



立山

用事で富山へ行ったので、帰りに立山で観光して帰った。

時間の関係で黒部までは行かずに、弥陀ヶ原を散策した。

弥陀ヶ原、称名の滝など、親しみ深い地名がついている。

気持よく歩いていたが、2箇所目で早くも筋肉痛。

親鸞聖人が比叡山で修行された山道は、今みたいに整地されて

おらず、木の根や草が生い茂っていただろうな・・。

暑い夏も寒い冬も、何十キロも駆け足で修行されたと聞いている。

それに比べ、草原や山の中をわずか2km行くのに、足が疲れたと言っている。

聖道門の道は精神力も体力も優れた人の進む道。

親鸞聖人が山を降りられ、浄土真宗を伝えて下されたなればこそ、

向こうから来て下される他力廻向の法を知らせて頂けた。

親鸞聖人の御苦労をしのびつつ、大自然の美しい景色を眺めて

楽しい時を過ごさせてもらった。    (m)




念仏

念仏を称えようという心などさらさらないのだけれど、

「お願いだから念仏を称えて、浄土に生まれてきておくれ」と

阿弥陀様が願って下さるから、

めんどうくさがりやの私だけれど お念仏を称えさせて頂けます。

南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏    (m)

音楽

主人が用意してくれたipodで、ご法話を聴いているが、途中から

クラッシックが入っていた。

バッハのブランデンブルク協奏曲第4番~第6番。

ルドルフ・バウムガルトナー指揮、ルツエルン弦楽合奏団演奏。

その音色の美しさと各楽器の音のバランスの良さに、聞き入ってしまった。

どの部分も完璧で美しい演奏の世界・・!

ああ、私はいつも生きるために生き、浅ましい日暮しをしている。

そんな自分とは別世界の、清らかで美しい音が創りだす世界。

ろくな事しか考えないで、煩悩のまま、日々目の前のことに追われている私。

それでも、そんな自分に「往生一定だよ」と、阿弥陀様は呼んで下さる。

おかしいことだな・・ありえないことだな・・でも変わらない。

不思議としかいいようがない。

美しい音楽に触れていたら、煩悩にまみれた私を浄土へと呼んで下さる

南無阿彌陀仏の不思議さを感じるご縁となった。

ありがたい南無阿彌陀仏。  (m)

「信者めぐり」より その一

ある方からご紹介頂いた「信者めぐり」という本を、少しずつ読んでいる。

大正11年発行のもので、色々な御同行や名僧方の法悦録である。

気に入ったフレーズを少し。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
領解文は聞いてからの仕事ぢゃない、お知らせの言(ことば)に具してある

法徳が、其のまま我が身へ與(あた)へられた相(すがた)をお示し下されたのぢゃ。

降った雨には必ず濡れたという徳があるように、濡らされた物の力で濡れたのではない。

濡れたは全く降った雨の徳である如く、領解文は 助くるぞよの法雨の濡徳で、

我の聞いた力でなったことでは更にない  (以下略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

濡れるのは雨が降ったから・・、この当たり前のことが・・当たり前なのだけれど、

南無阿弥陀のお慈悲がありがたい。        南無阿弥陀仏(m)

Ipod

ご法縁が少ないとぼやいていたら、ある朋友から、「ipodに録音して

移動中にきけばいいじゃないですか?何ならCD貸しますよ。」との

ご親切なアドバイスを頂いた。

ご飯を作りながらCDプレーヤーで聞くことはあったが、調理の音と混じって

聞き取りにくく、今ひとつだった。

確かにipodに入れてイヤホンで聞けばいいかも。

そういえば主人はいつも、耳にイヤホンを入れている。

尋ねてみたら、色々グッズを試していて、あちこちに録音してずっと聞いているとの話。

燈台下暗し。 機械音痴なので、さっそく私の分も作ってもらった。

そうしたら・・・、調理しながら、洗濯物を干しながら、アイロン掛けながら~

ご法話が聞ける。

聴いていると嬉しい気持ちがして、心も軽く、家事がはかどる。

アドバイスありがとうございました。ついでに主人にも、セッティングありがとう。

私が触ると機械が壊れるような気がするので、またいいのがあったら録音してね!

南無阿弥陀仏    (m)


時計の針

このブログでは、親鸞会の会員の人達が会の中で聞かされていることは浄土真宗の教えではないということを気付くきっかになればと思い、いろいろ書いてきました。

しかし、先日あることをきっかけに見落としていたことに気付かされました。現会員で無い人、つまり一度親鸞会に入会して辞めた人は未だ会員を続けている人の何倍も存在するということです。
しかも、会で受けた影響が抜けきらずに苦しんでいる人が多く存在します。ずっと以前に辞めた人は、今のように教義的な矛盾や会長の実像、会の実態を知る機会がなく辞めた人が多いと思います。

先日ある元会員の方から「辞めてから25年間、時計の針が止まったかのようだった」と聞かされました。会員を続けた人以上に苦しい思いをしてきたのかも知れません。

未だ現役の人、辞めようと思っている人、最近辞めた人、ずっと以前に辞めた人にも知って欲しいと思います。阿弥陀仏の救済に差別はありません。時間がかかることも何か条件が必要と言うこともありません。今から本願に帰命して念仏称えさせていただけば良いのです。

蓮如上人は仰せです。

聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。『御文章 5帖目10通より』

「あいつは裏切り者だ。問題外だ。話にならん」
辞めた私達に対してそんなことを言っている現役の人達もあるようですが、私は現役のときに、親鸞会を去っていった人達に対してそんな風に思ったことも言ったこともありません。
今でもそれは同じで、現役の会員の方を敵のように思っていることは全然ありません。御同朋御同行ですから当然です。今は色々あっても、元支部の皆さんも必ず再会する日がくると思っています。

なむあみだぶつ なむあみだぶつ(P)

修正21:42

プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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