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信後の生活

信後の生活について話をする機会があった。

蓮如上人は 信心決定のうえには行住坐臥において念仏ししなさいよ、と

教えておられる。

また毎日の勤行やお仏花、お供物。

仏恩を報ずるために阿弥陀仏の本願をお伝えしなさいよ、とも。

お仏花やお供物を欠かしたことは一度もないし、念仏も称えているけれど

行住坐臥においてか?と問われれば、横着な我が身を恥じるばかり。

勤行も手抜きになっていた。

阿弥陀様のお慈悲にあぐらをかいて楽な方へ流れていく。

浅ましい我が身を反省し、テープに合わせての勤行を再開した。

念仏も「自然に縁に触れて出て下さるから、ありがたいな~」などど

のん気にしていたけれど、もっと心がけて称えさせて頂こう。

信後の生活のアドバイスは、厳しくもありがたく、姿勢を正された。

阿弥陀様に横着な我が身を懺悔してお念仏。

南無阿彌陀仏、南無阿彌陀仏・・   (m)




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将棋

”『生きる意味』をハッキリ示す仏教講師のブログ”というブログがある。

その中に、『智恵と占いと将棋』というタイトルのものがあるが、仏教講師と

宣言しながら、仏教の ブ の字も出てこない。

『生きる意味』を親鸞聖人、ブッダの言葉で示す仏教講師、と書いてあるが、

この記事のどこにも、親鸞聖人の言葉も ブッダの言葉も出てこない。


将棋といえは、阿弥陀仏の本願は先手必勝!

しかもたった一手でいきなり王手。

浄土真宗の布教師が、なぜ阿弥陀仏の本願を説けないのか。

なぜ南無阿彌陀仏の尊さを書けないのか。


”無い袖は振られぬ” なのか、それとも ”浄土真宗の教義について

書いてはいけない”とのS会からのお達しなのか?  (m)

原付バイク

10月から新しい職場に移ったと同時に、バイク通勤となった。

街中にあるため、通勤も 仕事中の客先訪問もすべて原付バイク。

バイク初心者の私は、何だか慣れなくて、初乗りは時速10kmがやっと。

練習で乗って行き、一旦用事で止めたらエンジンのかけ方がわからなくなり、

道行く親切なお兄さんが、キックバックでエンジンをかけてくれた。

(こんなんで大丈夫かしら・・?)と我ながら思っていたが、3日で慣れた。

エンジンをかけると、テーラーや耕運機に乗っていた時と同じ懐かしい匂い。

風を全身に感じながら進んでいく爽快感。

季節の香りがする・・!

ヘルメットを被り、バイクの音で聞こえないから、気楽にお念仏。

新しいことを覚えるっていいもんだな。 南無阿彌陀仏 (m)

「よく聞き抜かれた」について

親鸞会制作のアニメ 『世界の光親鸞聖人』第一部の獲信の場面。

法然上人が親鸞聖人に向かって 「よく聞き抜かれた」 というセリフが

あります。

かつては、そんなものかと思っていました。

でも、今は 自分の聞いた苦労が実って信心決定の身になったのならば、

聞き抜いたと言えるでしょうが、ひとえに阿弥陀様がご苦労され、阿弥陀様が

救って下さったのだから、私が聞き抜いたのではなく、聞かせて下さった

阿弥陀様のお手柄であり、「よくぞ聞かせて下さいました。」と言うのが本当

ではないかと感じます。   南無阿彌陀仏  (m)

本願力回向

浄土真宗の教えは本願力回向の教えと言われます。

いま本願力回向とは、本願に誓われたように、阿弥陀仏が自身の成就された仏徳のすべてを南無阿弥陀仏におさめて衆生に与えたもう利他回向のことである。
(浄土真宗聖典 注釈版第2版 補注12より)

このことは『教行信証 教巻』の最初に書かれています。

「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」(同 135頁)

親鸞会には「本願力回向」の概念がないと指摘されてきました。(飛雲:如来二種の回向)

それで慌てたのかどうか判りませんが親鸞会の「750回忌」では
「人生の目的は阿弥陀仏に救われて往還二廻向をいただく事だ」親鸞会 イミズムより)
と往相回向、還相回向について話があったようです。
「全て南無阿弥陀仏の働きである」と話があったとも聞きました。

私も、会員時代に往還二廻向の話を聞いたことはあります。
「往生浄土の相状と言って、信心決定した人が1日1日浄土へ近づいている姿だ」
と聞かされ、そのように理解していました。つまり回向ということが抜け落ちていました。

今回の説明と違いますね。
今回どんな説明であったのか詳しくは知りませんが、この話を聞いた会員の人は「アレッ」と思ったでしょうか。
全て阿弥陀様が差し向けてくださるのであれば、「自力いっぱい求めよ」という親鸞会の主張と整合性が取れません。

真面目に救いをもとめている人であれば、聞き逃せないはずです。

親鸞会では
「三願転入の教えは浄土真宗の根基であり、教えられたとおりに善をしなければならない。それが親鸞学徒の本道である」
「善をしなければ信仰は進みませんよ」「実地に善をしなければできない自分は知らされない」

と言って、自力の善に励むよう教えてきました。しかし、本願力回向には自力の入り込む余地は全くありません。
彼らの言っている事と、他力(本願力)回向の教えは完全に矛盾するのです。

会員の人は、正しいとか間違っているという以前に、自己矛盾した整合性の無い「教え」を聞かされていることに気付かねばなりません。
そんな話を何百回聞いても、判るはずがありません。

それとも「往還二廻向をいただくまでは、19願の道を進んで行くんだ」と言いたいのでしょうか。
それでは他力回向にならないのです。

如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり
 (正像末和讃)


(P)

山越阿弥陀図

娘を迎えに行った帰り道、黄色と水色の混じったほの明るい空を背景に

残照で 低い山と上の方の大木の影が、黒に近い濃い緑色に見え

夕霞も相まって影絵のように美しかった。

感動してじっと眺めていたら、国宝の『山越阿弥陀図』が思い出されてきた。

なだらかな山の間から、大きな阿弥陀如来の上半身が描かれている。

とても幻想的で美しい絵図である。

山より大きいとは、ずいぶん大きな阿弥陀様を描かれたものだと思っていたが、

阿弥陀様の南無阿彌陀仏の御呼び声はとても大きくて力強いから

あの絵の通りであったな・・としみじみ味わわせて頂いた。

南無阿彌陀仏   (m)

親鸞会の名号本尊について思うこと

親鸞会の名号本尊の左横に「親鸞」と書かれている件にについて

勝手に切り貼りしたことがネット上で指摘されて久しい。

ある人が、「横に、高森と書かれているのではないから、改邪抄で指摘されて

いる邪義には当てはまらない。」

「親鸞聖人は自ら名号を書かれて、たくさん有縁の方にご本尊として渡されて

いる。浄土真宗の本尊は木造よりは絵像、絵像よりは名号であり、名号の横に

親鸞聖人のお名前を書くことで、そのご本尊に関する親鸞聖人の教えが明らか

になるのだ。当時は直接手渡されたので、親鸞聖人のお勧めだとハッキリ分っ

たが、現代の人にはわかりにくいので、名号の横にお名前を書くことで、教え

があきらかになるのだ。」などと言っていた。

一見納得がいくようで、やはりおかしいと感じる。

(1) 親鸞聖人がされていないことを勝手に計らってやっているのはおかしい。

(2)信心決定して南無阿彌陀仏の尊さを知らされ、自分のお粗末さを知らされた

なら、名号の横に自分の名前を書くなどどいう暴挙が出来るはずがない。

自分には何の価値もない。そんな私を救い給うた南無阿彌陀仏に下がった頭は

二度とは上がらない。仰ぎみて敬い、ご恩を喜ぶばかりである。

(3)親鸞聖人が自らお名前を書かれる時は「愚禿釈の鸞」とか「愚禿親鸞」とか

書かれている。えらそうに名前など書かれたりしない。

自分に価値があれば、「この親鸞がすすめるのだ」と言われるだろうが、助かるもの

など何も持たない、極悪人の我が身を知らされたなら 「この私が勧めるのだ!」

などと、自分の存在に力みは入れられない。

(むろん、阿弥陀仏のお慈悲を知らされれば、「私はこのようにさせて頂く」という

ご自身の意思表明はあると思いますが・・。)

結局、ごまかしの説明ではないのか。    南無阿彌陀仏   (m)



剽窃

S会から『会報』『こんなことが知りたい』『白道燃ゆ』『光に向かって』という書籍が発行されています。
私も会員時代に何度も読んだ書籍です。実はこれらの著作は剽窃で成り立っていた書籍であることが知られるようになりました。

大沼法龍氏(真宗改革論者、学識が深く名文家)や、伊藤康善氏(華光会の創始者)の著作からの丸写しが露見しています。

これは著作権という観点からも問題ですが、会員にとってはそれ以上に重大な問題です。

大沼法龍氏や伊藤康善氏のオリジナルの著作の方を読むと「唯一の善知識」によってのみ明らかにされたはずの「S会の教え」とは、2人が教えていた事を混ぜ合わせた合成教義(劣化コピー)であったことが判ります。

「自分だけが親鸞聖人の教えを正しく教えているのだから、自分だけを信じよ。他から話を聞くことは許さない」というのがS会会長の基本姿勢です。
会の活動に深く関与した人、特に講師部員であればこのことを骨の髄から知っているはずです。

そして
「戦後まもなく彗星のごとく現れた善知識が会長先生であり、先生から聞かなければならない」と喧伝してきたのがS会という会です。

ところが、その会長には直接教えを受けた師匠が存在したのです。でも会長はそのことを何処にも触れていませんし、何の説明もありません。自分の権威が揺らぐことを恐れて、このことを隠してきたと言われても言い訳できないと思います。

とても”真摯”な姿勢とは言えませんね。

この事実を知った会員の人はどう思うでしょうか。
「真実を教えているのなら、それでもいいじゃないか」と思えるでしょうか。
「この方以外に真実を説く方は無い」と信じてきた”真摯な親鸞学徒”であれば、裏切られたと思うはずです。

講師部員の皆さんはどうですか。せめて事実の確認をしてみたらどうでしょうか。少し検索すれば山程出てきます。
ネットの情報はいい加減だと思うならその裏付けをすればいいじゃないですか。
真実云々以前に剽窃問題という事実から目を背けずに向きあってこそ、真摯な親鸞学徒と言えるのではないのでしょうか。

そして、宗教において誰であれ人間を頼りににすることの愚かさを知って下さい。(P)

*剽窃・・他人の作品・学説などを自分のものとして発表すること

勤行

学生時代からご縁のあった先輩と、どういう因縁でか 一緒に

勤行させていただくご縁があった。

当時の学生部は、お互いに他地方の新入生勧誘を手伝いに行っていたので

顔見知りの法友はたくさんいた。

なつかしいというのが正直な感想。

そして大きな声での、唱和してのお勤めはとても楽しい。

親鸞会には尊敬できる素晴らしい先輩方がたくさんおられる。

そんな人材を集めながら、なぜ正しい浄土真宗の教えを伝えないのか。

なぜ法を生かし、人を活かす経営ができないのか。

「助けたい」という御心ひとつで 南無阿彌陀仏となって来てくだされる法を

遠くでじっと待っている仏にしてしまっているのか。

他力廻向が抜けていては浄土真宗にならないし、そんな教えを

いくら聞いても救われない。

懐かしくも悲しく、どうか本当の阿弥陀様の救いを聞いてもらいたい・・と感じた。(m)
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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