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1回の勤行

親鸞会で 獲信体験談が真っ盛りだった頃。

岐阜支部長だった谷本氏の『獲信の記録』は、テーブやビデオとなり販売されていた。

(自宅にあります。)

専任講師も説法で話によく使っていた。

また、記念行事でも、映像になって 大々的に宣伝されていた。


あるときの座談会での会長談。

「谷本さんは1回もお勤めを欠かさなかった。海外に出張に行くときは勤行ができないので

その分家で勤行をしてから出張に出かけていた。

あと1回勤行が足りなかったら、獲信できなかったかも知れない。」

勤行の回数で、信心決定が出来るかどうかが別れたとの発言。


そうそう親鸞会の教学テキストでは、宿善が厚くなるものを順番付けして

1、熱心な聞法  2、五正行の実践(勤行) 3、六度万行の実践、とあったっけ。

聴聞や勤行を 行の実践として並べて教え、行によって宿善が厚くなり、

救われると 教えていたんだよね。

聴聞や勤行は「今本願を聞信しなさいよ、救われなさいよ」とのお勧めであって、

行をすること(手段)で宿善を厚くして救われなさいよ(目的)ではないのだけれど、

行にこだわっている親鸞会には わからないのかも。 

自力の行は、救いには一切間に合わないのですが・・。   南無阿弥陀仏  (m)



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価値

「あなたは逆謗ではないのですか?」と問われれば、

本願を聞いていないときはそのときで、

「なぜ私を救ってくださらないのだ!」と怒りと愚痴の刃を向け、

「本当に救う力があるのか?」「私だけ差別して後回しなのでは?」と疑い、

救われたら救われたで、

相変わらず欲を求め、愚痴ばかり言って、煩悩の海に翻弄される日々で、

阿弥陀様の御恩もそっちのけで忘れている浅ましい姿。

謗法の者だと感じます。

煩悩具足の私には 何の価値もなく生きるだけ罪造りなのだけれど、

阿弥陀様のお慈悲の相手という、ただこの1点で、私の命に価値があるのです。

南無阿弥陀仏のお慈悲が、申し訳なくもありがたく。 南無阿弥陀仏 (m)

安心

阿弥陀様の「必ず往生させる」との仰せをたのむ身にしていただけば、

何故だか本願の仰せが頼もしく、危なげがなく、深くて広い何とも言えない

安心の中にあるのです。

それは、意識すれば空気を吸っていると自覚するけれど、無意識にでも

自然に呼吸しているように、いつでも、意識していようがしていまいが

変わらぬ安心なのです。

何とも表現しがたい深い喜びに包まれているのです。

私は相変わらずこわがりで、いつも欲に振り回され、愚痴も多いけれど、

目を向ければいつも仰せは変わらず、浅ましい煩悩にも影響されない

のです。

何があるかと問われれば、私にはなんにもないのだけれど、

何もないかと問われれば、南無阿弥陀仏の仰せがいつもあるのです。

この深い喜びを、わかっていただけますよね・・。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。   (m)

後生

ある現役講師から 「他人のことを言うより自分の後生を心配したらどうか?」

と問われて、「私の後生は阿弥陀様にお任せしたので心配はなくなりました。」と

お答えしました。

すると 「君は何を言っているんだ」と鼻先で笑われてしまいました。

でも、本当のことを言っているのです。

後生が不安で親鸞会に入会し、25年、会員として親鸞会教義に従ってきました。

親鸞会の教えでは助からないと見切りをつけ、親鸞会をやめ、正しい浄土真宗の

教えを聞かせて頂くご縁に恵まれました。

南無阿弥陀仏の御心を知らされて、後生の心配はなくなってしまったのです。

阿弥陀様に後生の心配をとられてしまったのです。

自分でも不思議なことだといつも思うことです。  南無阿弥陀仏  (m)

あれから・・

去年の大震災から、早くも一年。

昨日、市内全域で 津波が来たという想定での避難訓練があった。

高台にある公園目指して、決まったルートを通って五分でどれだけ行けるかを確認。


昨年の津波の映像が何度も流れ、その破壊力のすさまじさをあらためて感じ

いざ20mもの津波が来たらひとたまりもないな、と思う。

映像を見ていると胸が苦しくなってくる。

津波が目の前まで来ていても眺めていた人達が、ぎりぎりになって駆け出す映像。

何と愚かな行為・・それでも、それは私の姿だと感じた。


避難訓練の効果がどの程度あるのかはわからない。

それでも避難訓練に参加すれば、(頭を守るヘルメットが必要だな・・)とか、

(軍手をしてきたほうがいいな・・)とか、

(この家の横を通る時は気をつけたほうがいいな・・)とか、

(いざとなったらここのマンションに登ろう)とか色々気付くことがある。

周りの町に比べ高い位置にあるので、周りの町からの避難者も想定して

今後は訓練をしていく方向だとも聞いた。

備えてもどうしようもない事もあるけれど、大きな痛手を教訓に

出来る限りの備えをして、くい止められる被害はくい止めたいと改めて感じた。

犠牲になられたたくさんの人や動物の命を無駄にしないためにも・・。 (m)

聞とは・・・

『井戸のぞく 子を呼ぶ親は 命がけ』


幼子が井戸をのぞくのをやめるのは、

井戸の深さがわかったからではありません。

落ちると危ないという、我が身の状態を正しく理解したからでもありません。

よちよち歩きの子供には今の自分を理解する知恵はありません。

呼ぶ親の必死な大声に、(何ごとかしら・・?)と、後ろを振り向くのです。

阿弥陀仏の仰せが救いのすべてなのです。

阿弥陀仏が「危ない」と見て取られ、阿弥陀仏が「助けたい」と願われて、

その願い通りに阿弥陀仏が救ってくださるのです。

自分が罪悪を感じるとか感じないとか、後生が気になるとか気にならないとか、

助かりたいと思うとか思わないとか、救いとは関係ないです。

もとより、後生を苦にする心も、助かりたいという菩提心も持ち合わせない、

助からないものだからこそ、本願は建てられたのです。

そういう者のための、阿弥陀仏の御苦労なのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。   (m)


プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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