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善人様

月3回の親鸞会館のご法話に、月に1回、いや年に数回の参加だった人が、

「私は高森先生について行きます」と言う。

度重なる御報謝の催促に、10万も出さないできたのに、

「私は高森先生を善知識だと信じています。」という。

本当に善知識だと信じていて、ついていくのだと言うのなら、

無理ない範囲でマイペースでやってないで、ちゃんと親鸞会教義に

従ってされたらどうでしょう。

無理のない範囲で適当にやっていては、教義のおかしさも分からない上に

自分は善に励んでいる善人様のつもり、辞めた人は求道の敗残者・恩知らずの

裏切り者と考えて、時間だけどんどん過ぎてしまうのではないでしょうか。

親鸞会にいるのなら、もっともっとまじめに親鸞会教義を吟味して

「これが自分が本当に救われる教えか」考えてもらいたい。

善を勧めているんだから、悪くはなかろう、善いことだろうと思っている。

でも、本願をねじ曲げて救いから遠ざける行為のお手伝いは、

善ではないと思いますよ・・、本当に。  (m)
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御文章

御文章を読んでいると あちこちに

「何と心をも持ち、又何と阿弥陀仏をたのみまいらせて」助かるのか

というと、「何のようもなく」と書かれている。

(どういう心になったら・・どのように阿弥陀仏をたのむのか・・

どう思えば・・どう心がければ・・どうすれば・・)などなど、

本願を疑っているときは そんな心が去らない。

計らいが取られてしまえば、そんな心はきれいさっぱり消え去ってしまって、

南無阿弥陀仏一つのお助けと安心させられる。

一心に弥陀帰命の身にして頂ける。南無阿弥陀仏  (m)


「確信」の定義に関連して

とあるブログのコメントには、「確信うんぬん」については

もう書いてはいけないようなので・・。

確信を「自己の意識上の明らかな自覚」とでも定義して

しっかり意識して認識していてもらわないと、

「阿弥陀仏によって間接的に知らされることを自分は確信と言ったのだ」

などど、あいまいな言葉でごまかせてしまうと思いました。

本人が、なにかしらの「ハッキリ意識できる自覚」をもって信心と

言っているのは明らかなのですが、言葉にしていても、無意識に

自明のこととしていて、自覚せずに発言していることもあると思います。

傍から見れば言動にその大前提にしているところがハッキリわかっても、

本人がしっかり自分の言動の大前提を意識していないと、

せっかくつっこまれても自覚が薄く、ごまかして逃げてしまうような

印象がありました。

こういう人相手に、根拠を挙げて同じ話を繰り返される方のお姿は、

浅ましい田舎の人にも何とか分からせようと何回もお手紙を出された

親鸞聖人と重なって、私は深い感動とともに、ただただありがたく

感じておりました。

「わかるか?わかるか?まだわからぬか?」と心に迫ってくるようで、

手を合わせたい気持ちで読んでおりました。

自分にはとても真似できない、菩薩のような志と実行力と根気。

仕事に出かけているうちに、コメントを書く場面が無くなって

しまいましたが、この場を借りて一言。

ハリケーンさん、ありがとうございました。  南無阿弥陀仏  (m)

夜行バス

ディズニーランド行きの夜行バスの事故は大惨事でした。

繰り返される事故現場の映像に、大学時代よく乗った、親鸞会の

聴聞バスを思い出しました。

当時、月に13日、全国各地で高森会長の説法がありました。

広島、京都、志賀、富山、石川、福井、遠くは九州まで、本会の

聴聞バスに乗って出かけていました。

大体は深夜発で早朝に着く運行。

車両部の運転手の方は一人がほとんどでした。

富山から迎えに来て、夜通し運転し、翌日聴聞。

帰りも運転して送り届けてから、また富山に戻る。

学生ながらも、運転手は何て大変なんだろうと思っていました。

夜中、蛇行運転になることもしばしば。

眠りの浅い私は、事故を起こされたら大変(!)と内心ドキドキ。

運転手の後ろの席が多かったので、時々後ろから運転手に声を

かけたりしていました。

バスは自家用となっていたので、規制の対象外だったのでしょうか・・。

運転手の使命感もあって事故はなかったと思うのですが、今考えると

いつ大事故がおきてもおかしくなかったと思います。

実際疲労で高速道路を逆走し、亡くなられた講師もおられたのですから。

無理することが、宿善を厚くして救われる道と教えられ信じていたのですね。

愚かとしか言いようが無いのですが、そんな者にも南無阿弥陀仏の

お慈悲はずっと届いていました。

なつかしくも、悲しい思い出。  南無阿弥陀仏。 (m)

白道

この目にも見えず、この耳にも聞こえない本願の仰せが

なぜだか間違いないと知らされて、

危なげなくて、たのもしいいんです。

「本願を聞いても何だか頼りなくて・・」と言った方がありましたが、

それは本願の仰せを聞いていないのです。

煩悩具足の自分は、いい加減でふらふらしていて、日々欲に追われ、

愚痴ばっかりだけれど、

一度白道に乗ったならば二河白道の例えの如く、煩悩は何も変わらないのに

危なげない白道が知らされます。

不思議な事なのですが、足元は見えなくてもしっかりしていて頼もしいんです。

善導大師の譬え話が、リアリティがあってありがたいです。

他力信心をうまくあらわされていると感じます。 南無阿弥陀仏 (m)




プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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