無常を感じて寂しいと思う心は無くなりますか?
質問を頂いたので少し思いを書きました。********
「火宅無常の世界は万の事皆もって空言戯言まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておわします。」
相手も自分も物も皆無常だから、努力を続けてもやがて崩れ無くなってしまう。
強い信念で固めた心も無常。自分にはっきりしっかりしたものなどない。
それでも阿弥陀様が必ず救うと固まっておられるから大丈夫なのです。
私自身は昔からあまり寂しいと感じたことはありませんが、親しい人との別れは
淋しいものです。
それでも阿弥陀様は寂しい心のまんまで丸ごと南無阿弥陀仏で包んで下さいます。
無常という真実を受け入れられずに嘆く愚かな私たちを、
「阿弥陀様でなくて、私は自分の好きなこの人にずっといてほしいんだ」と
無常を受け入れられない私たちをそのまま抱きしめて、「そのままでよい。
その嘆いている迷ったままの者を必ず極楽浄土へ生まれさせる」との仰せです。
寂しく思うのも迷いから起きる煩悩ですが、寂しい心もそのまま丸かかえの本願なので、
淋しい心を通しては自分の迷いきった愚かさを知らされ、知らされても煩悩だから
なくもならず、そんなものにそのまま降り注ぐ南無阿弥陀仏のお慈悲が心にしみて
またありがたく、煩悩と懺悔と喜びは一体です。
寂しければ寂しいほど、我が身の煩悩具足の愚かさが知らされ、また阿弥陀様の
深いお慈悲も知らされ、味わわせて頂けます。 南無阿弥陀仏 (m)
「火宅無常の世界は万の事皆もって空言戯言まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておわします。」
相手も自分も物も皆無常だから、努力を続けてもやがて崩れ無くなってしまう。
強い信念で固めた心も無常。自分にはっきりしっかりしたものなどない。
それでも阿弥陀様が必ず救うと固まっておられるから大丈夫なのです。
私自身は昔からあまり寂しいと感じたことはありませんが、親しい人との別れは
淋しいものです。
それでも阿弥陀様は寂しい心のまんまで丸ごと南無阿弥陀仏で包んで下さいます。
無常という真実を受け入れられずに嘆く愚かな私たちを、
「阿弥陀様でなくて、私は自分の好きなこの人にずっといてほしいんだ」と
無常を受け入れられない私たちをそのまま抱きしめて、「そのままでよい。
その嘆いている迷ったままの者を必ず極楽浄土へ生まれさせる」との仰せです。
寂しく思うのも迷いから起きる煩悩ですが、寂しい心もそのまま丸かかえの本願なので、
淋しい心を通しては自分の迷いきった愚かさを知らされ、知らされても煩悩だから
なくもならず、そんなものにそのまま降り注ぐ南無阿弥陀仏のお慈悲が心にしみて
またありがたく、煩悩と懺悔と喜びは一体です。
寂しければ寂しいほど、我が身の煩悩具足の愚かさが知らされ、また阿弥陀様の
深いお慈悲も知らされ、味わわせて頂けます。 南無阿弥陀仏 (m)
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