クリスマス

クリスマスシーズンのせいか、あちこちでクリスマスソングが

かかっている。

ラジオをかけていたら懐かしい賛美歌のメロディーが流れてきた。

高校生の頃、親に連れられ出かけていた教会で賛美歌を歌っていた。

楽しい高校生活の一方で、儚い幸せばかりだと薄々感じていて、

神を信じたくて、信じられなくて、苦しかった頃の気持ちを思い出した。

南無阿弥陀仏は、ただ一方的にこのままの私を「救う」との仰せで、

何も要求されない。

受け取るだけの果てしなく広がる慈悲に包まれて、私の心は安らいでいる。

親鸞会では平成の初めのころまでは三重廃立をいつも言っていた。

「外道を捨てよ、仏教を信じよ」「聖道門を捨てよ、浄土門に入れ」

「浄土他流を捨てよ、真宗に入れ」

それを実行するために、葛藤をへて、その後はあちこちで軋轢やら衝突があり、

いつも戦っている感じだった。

三重廃立自体は、言い方としては間違いではなかったと思う。

それでも、今思うに「南無阿弥陀仏は、すべての人を包み込んで漏らさず

救って下さる広い広い教え」と言われる方がしっくりくる。

他の宗教では漏れる人があるということなのだ。 南無阿弥陀仏 (m


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勤行時の地震

親鸞会館でのご法座に一人で行っていた時、勤行中に大きな地震があり

会館が揺れた。

一瞬ざわついたものの導師は勤行を続け、参詣者もほとんど動かず勤行を続けた。

私は(東海地震が起きたのでは・・)と不安になり、仕事で家にいた主人と

子どもたちのことが心配でいてもたってもおれず、勤行を抜けだして廊下で携帯から

電話した。専任講師も3~4人廊下で何かをしていた。

電話で、「こっちも結構揺れたけど、震源地は石川で震度5みたいだよ。」と聞いた。

地震のあと、布教局長から「親鸞会館はしっかり造られているから地震が来ても安心」

との話があり、顕正新聞では「動じることなく、勤行を続けたのはさすがは親鸞学徒」

という内容の記事がでかでかと載った。

でも私は「違う!」と感じていた。

地震が起きた時、離れた家族を心配になるのはごくごく自然な感情。

それを抑えて、心の乱れを隠して知らん顔して形だけ勤行を続けることが、

果たして すばらしい行為だろうか?

地震のことで頭がいっぱいになっていたからこそ、勤行終了と同時に地震の話で

会場がワイヤワイヤとなったのだ。

また、幹部の危機管理能力がないから「何もできず」「避難誘導もなかった」のでは

ないか?

地震の現場で何も指示できなかったことは、本来組織として恥ずかしいことだと思う。(m




プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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