まんじゅうのたとえ

だいぶ前だが、S会でまんじゅうのたとえを聞いた。

南無阿弥陀仏というまんじゅうを、自分が食べるのではない。

自分がまんじゅうになって、南無阿弥陀仏の口に飛び込んでゆくのだ、と。

今味わってみると、なかなかおもしろいたとえで、ありがたいだな・・と感じる。

自分が南無阿弥陀仏をつかんで自分のものにするのだと思っていたが、

実際は、南無阿弥陀仏に包まれてしまう感じ。

自分のうちも外も、南無阿弥陀仏が満ち満ちてくださる。

いや、十方世界に南無阿弥陀仏の至らないところはどこにもないのでした。

だから、自分から出ていってしまう不安とか、なくしてしまう心配などないのです。

親鸞聖人の「海」のたとえにも通じるものがあるたとえだと感じます。 (m)
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S会にいた当時はこの例え知りませんでした(;^ω^)
会辞めてから知ったんですが、もとは伊藤康善師の言われたことだったんですね。

例えとしては、大変有り難い味わいだな…と思います。

No title

Rudel様
 コメントありがとうございます。
伊藤師のを、全部そのまま使っていればまだよかったのかも知れませんが、教義を大きくねじ曲げてしまったから、浄土真宗ではなくなってしまいましたね。
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ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
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