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弥陀のはからい

『この私のすくわれるか否かはすべて弥陀のはからいであり、自らの造作は

否定されざるを得ない無疑の信相・・』(蓮如上人のことば:稲城選恵 著)


歎異抄の中で 親鸞聖人は、「念仏は地獄に堕ちる業か、浄土に生まれる因か、

親鸞には全くわからない」と言われているが、これは「知りすぎた知らん」

ではなくて、阿弥陀様に、後生をまかせきった心境の告白だと感じる。

救うも救わぬも阿弥陀様のお計らいであり、後生を知る知恵もなく、

南無阿弥陀仏の価値を知る知恵も持ち合わせぬ自分には、

念仏の価値ははかりようもなく、後生はただただ南無阿弥陀仏に

まかせきって、阿弥陀様にはからわれていくのみ。

南無阿弥陀仏の仰せがすべてで、後生がどうなろうと、後生に対して

自分にできることは もはや何一つなく、阿弥陀様のおはからいに

お任せする以外の選択肢は すでに何も無いという事実。

南無阿弥陀仏に抱かれて、まかせきってしまったならば、

南無阿弥陀仏が何かわからなくても、分からないことが心配にもならず、

気にもならなくなって、南無阿弥陀仏をただただ仰ぐばかり。

後生どうなるかの心配もなくなってしまって、不思議な安堵感に満たされている。

不思議な南無阿弥陀仏。   (m)
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Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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