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老衰

介護に関わる仕事をしているが、98歳の5人を筆頭に高齢の方々を

担当している。

1月の寒さが厳しかったせいか、担当の2名と、新規で紹介された入院中の方が

そのまま2名亡くなられ、4名もの方が急逝された。

S会に所属していた頃 『臨終には後生への恐れと後悔が交互にやってくる』

とよく聞かされた。

火車来現の絵を見せられて、『臨終の苦しみを今出して、火だるま抱えた気持ち

で聞け』とも言われた。

でも、介護に10年以上関わってきたが、死や後生の不安を口にする方は

ほとんどいなかったし、そんな亡くなり方をした方もいない。

超高齢の方が亡くなるときは半日~1・2日で急逝される。

高齢になると肉体の感覚も鈍くなるのか若い人のような痛みは感じないらしい。

骨折していても痛みを訴えない人もいる。

また、意識も思考もぼやけてくるのか、難しい思考はできなくなってくるようだ。

記憶力が減退すると論理的思考は難しい。

臨終に意識が薄らいでいって呼びかけにも反応しなくなり、息を引き取られる。

いつも今を生きていて、その日常生活の延長上に死の時が来るという印象。

老衰は、意識も肉体の感覚も弱まり鈍くなっているため、臨終になって

急に鮮明な認識・感覚になるとは考えられない。

脳の働き自体が弱くなるので、レム睡眠の時の夢の世界とも異なる。

S会では死の恐怖を煽られていたと感じる。


南無阿弥陀仏(m)
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No title

maryさんへ

僕は、ちょっと違うな。
maryさんの気持ちも分かるけど、僕に死は分からない。
お釈迦様が言われるとおり聞かせて頂くだけだ。
お釈迦様は、「大命終わらんとして光会懼悔こもごもいたる」を
聞かせて頂くだけである。(『大無量寿経』下巻五悪段)
親鸞会でも言われていたのでちょっと気になるけどね。
それだけ。

では、また

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

No title

訂正
「お釈迦様は」でなく「お釈迦様の」でした。
失礼。

No title

再訂正

「大命まさに終わられんとして、悔懼こもごも至る」

でした。
ちょっとミスが多い、再三失礼。

言い訳
飲みながら書いていました。

No title

とくよしみね様
 コメントありがとうございます。
今回は老衰の人の言動からの様子を中心に書いたので、お釈迦様のお言葉を否定するものではありません。
S会はこれをことさら強調し「全ての人は死んだら無間地獄」との恐怖を煽っているとい言いたかったのです。
私自身は死(死んだらどうなるか)の恐怖を解決したくてS会に入っていたので、お釈迦様の上記のお言葉のインパクトはずっと強烈にありましたし、逃げ道を塞がれ、自分を追い立てる言葉でもありました。

お釈迦様は韋提希夫人にS会のように恐怖を煽る説かれ方はされていませんし、阿弥陀様は既に願成就され、「死ぬと同時にわが浄土に生まれられるのだ。疑いなく信じて念仏しておくれ」と呼んで下さっています。
お経のお言葉を断章して、善知識方とはかけ離れた使われ方をしていました。

No title

maryさんへ

お元気そうですね。
やっぱり上記のようなmaryさんのコメントが大事だと思います。
高齢の方の死に様はmaryさんの見られている姿が現実でしょう。
だからこそ現在ただ今が本当に大事だと思います。
お釈迦様の言葉に反応する心のある内に聞かなければ聞けない教えだとmaryさんの話を読んで知らされます。

しかし一方で死に対して全く鈍感な自分がいます。
最近も遠くの親戚の葬式に参列したのですが全く何も感じていない自分にちょっと驚きました。
早く終わらないかなぐらいしか思っていないのです。
これが我が身かと思うと情けないですね。
だからこそ阿弥陀さまが立ち上がられたのでしょう。
そんなお前がお目当てだと。

ちょっと色々感じるところがありまして、最近はそんな状態です。
またお話しできる機会があると良いですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

No title

横から失礼します。参考までに。
五悪段は、大無量寿経のサンスクリット経典にもチベット経典にもありません。親鸞聖人が大変重要視されて、たくさん引用されている無量寿如来会にもありません。無量寿荘厳経にもありません。五悪段は、儒教の影響を受けて加えられたものと考えられています。親鸞聖人は、五悪段を全く引用されていませんし、五悪段が釈迦の直説と親鸞聖人は見做されていなかった可能性が高いです。
ですから、五悪段を重要視するのは如何なものかと…

No title

名無しさんへ

そういう話は聞いたことはありますが、浄土真宗聖典(本願寺)にもありますし、往生要集にも「富める者未だ必ずしも壽あらず、壽ある者は未だ必ずしも富まず。或は昨は富むとも今は貧なり、或は朝に生れて暮に死す。故に『經』に言く。「出づる息は入る息を待たず、入る息は出づる息を待たず。唯眼前に樂み去りて哀み來るのみに非ず、亦命終に臨まんも罪に隨ひて苦に墮す」と。」とありますから。
また、私が知らないだけで他にも沢山あると思うのです。
だからそうそう間違いではないと思いますけど・・・。

ご指摘はその通りだと思いますが、まあ、本質の所はそんなに変わりがないのではと思うのです、はい。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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