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宿善

宿善

以前(相当昔です)は盛んに宿善を積むという言葉が使われ、コップの水がいっぱいになってあふれることが宿善開発だと聞かされました。
そのうちに「積む」という言葉は不適切だから、厚くするという言葉遣いにしなさいとなりました。

教学聖典(5)-28には宿善が厚くなる順として

 (1)熱心な聞法
 (2)五正行の実践
 (3)六度万行の実践

と記述されています。

ところがこの宿善という言葉自体が、少なくとも15年間ぐらいは説法において殆ど聞かれなかったように思います。
理由は分かりませんが、おそらく会長自身が自分の宿善論に問題があることに気付いたからではないか、と想像しています(あくまで想像です)。

そこで修善を強調するために考え付いたのが、「三願転入の教え」を実践しなければ誰一人救われないという論理です。
つまり、宿善の代わりの修善を勧める論理を考え付いたのです。このことは想像でなく、会長自身の発言であることは確認しています。

初めに修善の勧めがあって「三願転入の教え」をその為に利用しているということです。

ところが、「三願転入の教え」の論理を押し進めたことにより”教え”に整合性が取れなくなって来ています。

「三願転入の教え」ではまず19願で勧められる善をすることが最も大切になります。

仏法は聴聞に極まるといいながら、「三願転入の教え」から出てくるのは、まず修善なのです。

宿善が厚くなる1番は熱心な聞法のはずなのに?、2番も五正行の実践のはずなのに?
そもそも救われるのに時間がかかるのでは?

ある日の説法で「聞いたダケではだめですよ、実践しなければ進みませんよ」と聞かされたとき、聞いただけとはどういことかと叫びたくなりました。

私は会員のときは、先生はずっと一貫して変わらない教えを説いていると信じていましたが、それは違っていたのです。

「三願転入の教え」を正当化しようとして、根本が変わってきてしまっていませんか?

(P)

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Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
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