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なんか変 其の2

足場

親鸞会でよく聞いた話に「足場」のたとえ話があります。
講師部員もよく使っていました。

建物を造るときには、まず足場を作る(実際には違いますよね)。
その足場は建物が完成したら必要ないから撤去する。
だが、それは足場が必要ないということでなく、建てるまでは必要なのだ。
こう言うのを方便というのだ。方便からしか真実に入れないのだ。

確かこんな話だったと思います。これもしっくり来ませんでした。
なんか変だったのです。
似たような喩えが他にもあります。

「3階を造るのには、1階2階が必要。3階だけが欲しいと言っても無理」
「ぼた餅食べて5個めで満腹したからと言って5個めだけ食べても満足しない」
「2階に行くには階段が必要」--これは割と最近

「でも、方便が間に合って救われるんじゃないのです。
ここを聞き間違ってはいけません、聞き分けてください」と言うのです。

しかし、普通に考えれば「足場」が建設に必要であることを表しているに過ぎません。
「修善は往生の資助にならない」といいますが、この場合の足場は間違いなく建設の「資助」になっているのです。
聞き分けるものなど何も無いのです。
自力いっぱいに善をして自力無功と知らされるのならば、彼らの言う自力が間に合ったということになります。

私が親鸞会と訣別できた最大の理由は、この「聞き誤り」「聞き分ける」という言葉の呪縛から抜け出すことができたからです。どれだけ聞いてもそこには何もないのです。
そしてそれは浄土真宗の教えとは違っているのです。

親鸞会の皆さんはせっかく浄土真宗とご縁があったのですから、正しい御法義に触れてみてください。
親鸞会でしか真実聞けないというのは、全くの思い込みです。

なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。(P)









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非公開コメント

全く仰る通りですね。
TS会では本願力回向のご法義が、自力修行か自力回向に刷り変わっています。

善の実行によって救いに近付けるなら、修善が往生の資助になっています。
TS会で求めても、30年や50年、100年や200年で求まるものではないそうですから、そんな平生業成に反する教えを一縷の望みをかけて聞き求めるよりも、100%救う本願を聞いて下さい。必ず救われます。

Re: タイトルなし

そうですね。
会を辞めて1年ぐらい経ちましたが、在籍中は自分が救われることを遠くに押しやっていたように思います。
そう思わせる話をしている団体から一刻も早く離れることが大事ですね。
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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