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円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智(教行信証総序)(現代語訳)
自他不二、生死一如とさとりきわめた阿弥陀仏の無上の徳を円かに具えている名号は、人びとの煩悩悪業をそのままさとりの徳にかえていく智慧のはたらきをもっており   (安心問答より転写)


生きるということは、衣食住が資本であり、自分も家族も衣食住のためにはお金が必要で、

お金を獲るには仕事が必要で、体調の維持も大切で、結局仕事中心の日々になってしまう。

煩悩どっぷりの浅ましい姿なのに、それを仏の種にしてくださるとは本当に不思議でありがたい

お言葉です。

南無阿弥陀仏のお働きが染み透って、申し訳ないな・・ありがたいな・・ありえない話だな・・

南無阿弥陀仏以外に救いの道はなかったことを、改めて味わわせていただきました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏 (m)

私の幸せ

「私の幸せ」という言葉を聞いた時、いつも違和感を感じ、愚痴人間で

レベルの低い私には幸せになる資格はないと思っていました。

けれども自分がどんなにお粗末で無知であっても、私に価値がなくても

南無阿弥陀仏が私を包みこみ、私の人生を照らし導き応援し続けて

下さっているから、私は今現在幸せであり、時々お念仏を称えつつ、

この幸せの道を堂々と精いっぱい生きていけばいいのだと思いました。 (m)

変わらぬ心

子供が遠くの大学に行き、仕送りのためにがんばって働かないといけないプレッシャー。

仕事上のお客さんや家族とのやり取りや入退院への対応。

社内の人間関係。親戚づきあい。子供の学校がらみの行事や付き合い。

家も毎日掃除機をかけてもすぐほこりがたまり、一箇所ずつやってもきりが無い。

体調も今ひとつで、かれこれ1年以上薬を飲みながらの毎日。

ああ・・・休みがほしい。でも今は休めない。

そんな中転職のお誘いを何度か頂き、迷いに迷って転職を決めた。

間を空けずに転職になるので、上司には2ヶ月以上前に伝えてあったが、

引き継ぐ人が入ってこない。

結局「誰が引き継いでも判るように資料を整えておいて」と言われ、

人相手の仕事でもあるので、有給消化もできないでばたばたで過ごしている。

給料は増えるのだけれど、新しい職場の仕事や人間関係など心配しだすと

きりがない。

そんなことばかりで毎日が過ぎて心はあっちへ飛びこっちへ飛び。

はりきったり、不安になったり、動き回っていたり、こたつで寝入ってしまったり。

毎日毎日があっという間に過ぎていき、もう12時過ぎたから寝なきゃ!となる。

身も心も揺れ動いてばかりなのに、南無阿弥陀仏は変わらない。

称えられるお念仏となって私の所に来てくださった。

悩みで頭がいっぱいになってきたら、頭の中に南無阿弥陀仏の文字を思い浮かべ

口でお念仏。寝る前にも浅ましい生き方を認めつつお念仏。

他力回向の法で良かったな・・と思う。南無阿弥陀仏  (m)

界面活性剤

洗剤の宣伝を見ていつも思う。

こびりついた汚れを界面活性剤がぐるりとかこんで球状にし

浮き上がらせていく。

煩悩具足のわたしを南無阿弥陀仏が覆い尽くして下さるから

その力で浮かび上がらせてお浄土まで連れて行ってくださるのだと・・。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(m)

法話のネット中継

親切な朋友の案内と「さよなら親鸞会」上の瓜生さんの案内で、本願寺の報恩講と

瓜生さんのお寺での法話を聴聞させていただけた。

声をかけてくださる朋友と、全世界の人にネット配信をしてくださるご親切と、

聞かせていただく阿弥陀仏のお慈悲に感謝です。南無阿弥陀仏(m)

「なぜ生きる」の座談会の時

高森顕徹氏の「なぜ生きる」が12年前に発刊された時、著作についての座談会があった。

その際、「この本のあとがきに、『親鸞聖人は(無碍の一道に救われる)道程は当然説かれているが

書いていないのはそこまで述べるゆとりはなかったから』と書いたが、

実際は、これ以上書く必要が無いから書かなかったのだ。

読者の気持ちに合わせて、書くゆとりが無かったと書いただけで、

この本はこれで100%、足りない所は無い。」と断言していました。


足すことは何も無いと言っていたのに、12年経ったら足すことが出てきたのですね。

煩悩具足の凡夫に、南無阿弥陀仏(18願)以外の救いの道があるというのでしょうか。(m)

なぜ生きる2

『なぜ生きる2』を読んでみました。

『本願寺なぜ答えぬ』『なぜ生きる』に続く”なぜ”シリーズ第3段といったところでしょうか。以下感想です。

言い訳で始まって、ごまかしに終始し、シュプレヒコールのように同じ事を連呼して、支離滅裂・意味不明で終了する本です。

言い訳:
「大悲の願船」に乗る「方法」があり、それを遅ればせながら書いたことを詫びています。こうしなければ救われないという「道」があるということであれば、その「道」を長く書かなかったことは詫びて済むことなのでしょうか。会員の人は疑問を抱いて欲しいですね。

ごまかし:
肝心な部分は根拠が出せないために、喩え話ごまかしてます。相変わらずです。

連呼:
大意と根拠が食い違っていながら、平気で何度も同じことを書いてます。例を挙げても良いですが、他のブログで取り上げられるはずなので止めておきます。おれおれ詐欺みたいなもので、ハッタリでも押し切れば良いと思っているようです。

支離滅裂・意味不明:
16章で聴聞が出てきます。聴聞と言いながら、三願転入の内容しか無く関係も書いて無い。章の始まりと終わりで話が変わってしまっていて意味不明。
17章では唐突に信疑決判が出てきます。でも、三願転入との関係を書いていない。違っているという以前に書籍としての体を成していないという印象を持ちました。本を書く以上は最低限の礼儀として読者が理解できるように書いてほしいものです。

最後に:
15章の副表題に「行く手には弥陀の願船が待っている」とあります。
こういうことを堂々と書いてしまう、またこれを読んでも違和感を覚えないとろに、この本の著者や会員の浄土真宗に対する理解の程度、更には信心が現れています。願船に乗るまでは自分の力で泳いで行く必要があるというのですから、王本願では足りないということです。本願(第十八願)を根本から否定しているのです。そういえば、「ウェルカム」という店が有りました。彼らの本願に対する考えを象徴しているような命名です。

(12/27 誤字修正しました) 
プロフィール

ぶりぱぱ&まま

Author:ぶりぱぱ&まま
平成21年に親鸞会を退会しました。
会員歴は長い方と思います。
連絡先:burimama18(Gメール)

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